は行の映画

2009年5月24日 (日)

逆らいと熱狂

銀座で 「ポーラX」'99 レオス・カラックス を鑑賞。 実はコレ初見なんですが、急に空き時間ができたのでやっと観ることができました~。

長尺だけど、魅入ってしまいました。なんか不思議な場所で、何が起きているのかわからないままなのに、人様の長々とした「妄想と混乱」なんか知る由もないのに。(ギヨーム・ドパルデューとしての脳内は気になるけど♪)

わたしもこの世界から脱したいと思わなかったことはないし、どこかわからない世界へ連れてってくれそうな誰かに惹かれるのもわからないわけじゃない。だから、そこで全てを棄てる決断なんかできないわたしには興味津々で主人公を見守ることにしました。

主人公は別世界での別人を演じてるつもりはなくても、悪魔的に誘われるように、本来肌に合わない水の中では生きられないように、別世界(そもそも“別”って言ってる)でアイデンティティを再構築し、未知の環境で過ごすというのは難易度高しというか、息さえしづらいんじゃないかな、と思った。 自分を揺るがす方へ進んでいるのは、謎を標的としてるとはいえ意図的。 そのままどんどん突っ込んでって自らを壊すまでは、一区切りつけられなくなってしまうような危険な賭け。

普通のバーのような店から鉄橋を渡ってヘンな建物へ向かうときの風は、相当な向かい風だったよね。 流される濁流の勢いは強く、赤い波に完全に飲まれてたしね。 今居る世界の中でのぼちぼちな道筋より、少しでも良い世界なんかあるのか?これでも今居る世界が最もマシなんじゃないのか?と結果論的に(映画の、じゃなく現実の)思ってしまうんだけど、10年前観てたらどうだろう。破滅を美しい勇気ある行為としてラストの暴挙をカタルシスをもって観るかもしれないなぁ。(そうコチラが受け取るのもイイだろうけど)

若者に人気のカルト小説を偽名を使って書いてたという彼は、そういう素質十分なのかな。象にとって人間は臭いんだという台詞があったけど、彼自身胡散臭くて「偽者」で、“何か”に狂信的に取り憑かれたい欲求が強いように感じたよ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年5月12日 (火)

観れるやつで観てないやつは観ちまおう

「その夜の妻」'30(音楽付き) 「非常線の女」'33(無声)、 (共に)小津安二郎 を新文芸坐で。 どちらもおもしろかったです。

特に 『その夜の妻』 は好きだな~。短いけど、集中的に「九時から九時まで」が描かれて、息もつかせずドキドキもするのですが、家族の思いやりが最も心に伝わってくる、洒落た演出・映像だけではない粋な精神が感じられる作品だな、と思いました。

絵描きらしき夫が、ポスターばかりを描かされて金が無く、世間は不況だし、娘の治療代もままならない。そんな夫のハイカラ趣味としても部屋に転がる西洋人形や丸の内ビル街での強盗がハマっていて、岡田時彦自身の凹凸のある顔立ちも似つかわしく、陰影がカッコよく落とされるのも作品全体と合ってるなぁと惚れ惚れ。

そして一切外へ出ず幼い病気の娘と待機するほかない妻の、刑事に対する意気の強さは、切迫感もあるかもしれないけど“イイ女は武器が似合う”というわたしの個人的ことわざどおり(?)、彼女も必死に健闘しまして、映画の題名が“妻”となってるのも納得でした。

数えてないけど字幕が片手で数えられるほどしか無く、サイレントを字幕に頼らないで魅せてもらえたのも充実感たっぷりでした。観客たちがスクリーンをじっと観て、感じて、察するのがサスペンスのドキドキをさらに募らせますよね。

『非常線の女』 は、100分をまったくのサイレントで観たので少々心配だったのですが、お仕事後プラスこの日3本目の疲労もノープロブレムで、画面から目をそらすことなく見入ってしまいました。 元ボクサー(岡譲二)とその情婦(田中絹代)が、不良一味としての「義理を果たす」のと恋人同士としての「はじめから出直す」のとで長いこと言い争うというのはまったく予想外の展開でした。  岡譲二に憧れて一味に入ったボクシングやってる学生のお姉さんが、ビクターに勤めててレコードをかけながら元ボクサーとナントカの何番がどうと話してるシーンは好きでした。ボクシングとクラッシックって相性いいのかな。上品な一面を隠してるキャラクターは不良一味のボスとしては何となく魅力が深まりました。 田中絹代もずべ公から家庭的な女にイメチェンしようとしたシーンがありましたが…。 

観客たちで一体感を持った、というのは静かであればあるほど感じました。何となく集中して息をのむ気配というか、何と言うか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月26日 (日)

気さくに呼ばれる大物の人望

「秀子の車掌さん」'41 成瀬巳喜男 「小原庄助さん」'49 清水宏  を神保町で鑑賞。

『秀子の車掌さん』 は、バスの前面ガラスをフレームにしたタイトルバックがけっこう揺れて酔いそうだな、と思ったら、ぼろくてガタガタすると評判のバスだった~。 藤原釜足の運転手はただ愉快に運転できればいいと言うし、秀子の車掌さん(バスガイドね)はしっかりしていて肢体もスラっと爽快。 社長も小説家もお客たちも、飄々ととぼけた映画の中でキャラがしっかりしてぼんやりしてないので、シンプルでのんびりしたお話でも愉快なエピソードやのんきな乗り合いバスがイキイキしています。

番茶も出花なお年頃の高峰秀子が、やっと名所観光の長台詞を覚えてお客に発表するシーンの中で、3番目に乗車したお客が若い3人の学生さんなので、やっと聞かせられるのはいいけど、真剣に聞こうとしてじーっと見つめられちゃって、ちょっくらテレ気味な表情を見せながらも溌剌と話すところは清々しく可愛らしく、キュン(!?)となりました。

『小原庄助さん』 は、すごくよかったです。 まず人物で観ても、庄助さんを演じる大河内さんのちょっと所作がもたついた感じや佇まいが微笑ましく楽しく、そんな言動を観てるだけでもおおらかで満たされる魅力です。

お話は家柄がよい旧家の男が、村人に寄付やら寄贈やら何やらとやってあげて、つまりは自分は借金してでもお金を他人にあげて、だからって都合よく金づるとして使われてるほどには見えず、非常に人柄があたたかくて好かれてて、で…、というお話で、そこまではそれがどうというよりその過程を楽しむようになってます。

その過程を楽しんだ後のラストのほうで、身上つぶすというのがこういうことで、そこへいくまでの庄助さんの、虚しさを散らすための生き方の方向性を吐露する場面が、あまりにも哀しいやくざ者のような(本物のやくざじゃないよ)心持ちで始めたことだったのかと知り、男泣きしそうになるというか(女だけどさ)、特殊な立場に身を置いてやり過ごしてきた今までのお祭り騒ぎな過程を改めて噛みしめたくなるような後味となり、ちょっと大河内伝次郎と「お茶を濁して生きる」庄助さんという役柄が何とも相性が良い気がしました。

奥さんもばあやもそれを快く思って手伝ってるんだから、もし他人に良いように使われたとしても、庄助さん(ってそもそもあだ名ね)がそれを善しとしてるんだから、嫌がらず支えてるんですよ。そっと、てきぱきと。 だからできた。 でもそれはもちろん彼が“愛される男”だから。 世間的に身内から見たらどうしようもないことに見えそうな過程も、楽しめるんですよ。 そしてその“愛される人物”はユーモアの香りを常に纏っているので、悲惨な場面でも観客を楽しませてくれるのですよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月23日 (木)

少年~それは~君が見た光~

「母のおもかげ」'59 清水宏  新文芸坐にて。 もう涙がとまらなくてぼろぼろでした。本当に清々しい気持ちで、心が洗われたように思いました。 あと思ってたんだけどカイエの人たち好きそうだよね、宏。

主人公は道夫くん、小学5年生。早い話がお見合いの再婚で新しいお母さんとその小さい娘が突如家族として加わり、5ヶ月前に死別した実の母のおもかげが整理できないまま、ひとりきりで抱えた葛藤を経て、ちょっとした警察沙汰をきっかけにあたたかな再出発をみんなでしようじゃないか、というストーリー。 ただそれだけのシンプルなお話だからこそ、たくさんの良いところがないと感動しないし、素敵な映画にはならないのです。

単純にロケで景色が下町だからではなくて、広々とした風景の中に存在する人々、大きな空間に散らばった小さな行き交う人々を捉え、それはフレームの空間の中に居るのではなくわたしたちの居る世界から切り取った風景に登場人物は動いているという考えが伝わってくるようで、とにかくすごく気持ちいい。だから観てるだけで隅田川からの風が通るのを感じる。 アップばっかの映画はせっかくの画面の中で大きな顔ばっか続いちゃって、まるで二次元じゃんか(もちろんたまにアップがあるのは嬉しいよ)。空間を感じないというのは人間の姿、存在を感じられないのと一緒だ!

あと、わざわざ学校で書かされたお母さんについての作文のシーンを入れるなんて、観客はもうそんなのとっくに観ていて知ってるのに、ひとりで悩みひとりで新しい母のハンガーにかかってた服に甘えてみるシーンの数々で伝わってきて十分泣いてるっつうのに。ちょっとわざとらしくないかなとか、目新しい内容の作文じゃないよって思いそうにもなるかもしれないけど、でもちょっと待って。道夫くんの複雑な状況や気持ちを知ってるのはわたしたち観客だけであって、この作文の朗読は、其処に居る大事な登場人物たちに知らせるための舞台として必要で、ここをもし「みんなで読んだ」という省略で処理したら、その場に居た人々、それぞれの演者の表情や、泣き出してしまう豆腐屋のおばちゃんの感情的シーンの時間がなくなってしまい、その時間こそ魅力になるように感じられて、またここでおいおい泣いてしまったじゃんよ…、とウレシイ悲鳴でした。 でもその朗読はナレーションでかぶされ、道夫くんはその場で鼻ほじってるというヌケっぷりだったりして。

もう道夫くんカワイイの。ぶっきらぼうにもなっちゃうし、喧嘩もしちゃう、素直になれない、でも素直な子。お父さんの根上淳もイイ男だし、新しいお母さん淡島千景も優しい女性。連れ子の娘も豆腐屋のみんなも学校の友達も水上バスの仕事仲間も、みんないい。 やっぱし自分の基本は日本映画の栄光の時代だよな、と改めて思うおたかであった…。(←祖母からの愛称)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月15日 (日)

もう天才のばか~

引き続き新文芸坐での錦之介映画祭りにて 「水戸黄門 天下の副将軍」'59 松田定次 と 「風雲児 織田信長」'59 河野寿一 鑑賞。

『水戸黄門 天下の副将軍』 は、誰がどっちの味方かな?と思いながら飽きさせず、楽しかったです。 お話全体に数々のエピソードが味を出していて、楽しめます。

やはり錦之助さんが登場してからが見どころなんですが、ご乱心あそばしてる風を演じてる錦之助お殿様が本当に素敵で…。 狂気といってもカワイイし、楽しそうだし、一緒に遊びたいタイプです。 なので子ども(歳の離れた弟)にも慕われ、お父さん(水戸光圀)にも幼少時は甘やかされたらしく、愛されるというか、イイ子に育ったなぁと感心してしまうような不思議なお人柄でした。

長年仕える女性(美空ひばり)だけに心を開く孤独な環境で、やっと会えたお父さんとラストで二人だけにしてもらったときに、「膝まくらしてこのまま甘えたいナ」なんて言う錦之助さんには底知れぬ魅力を感じずにはおれず、こんな男のコならいくらだって甘えさしてやるぜーーーとたまらなくなりました。 当然お父さんの黄門さまも、今までつらい思いさせてごめんよとかわいい息子に優しく微笑んでいて、このときの月形龍之介と錦之助さんの絡みは素敵でした。

出てくる人物はそれぞれコミカルな個性があって、たくさんの人と関わりがある丘さとみのおにぎりを使ったキュートっぷりとか、番頭役の大河内伝次郎が目頭のアイラインを切れ込んでいないためにほのぼのして可愛らしい肌着姿が似合っていたのは楽しみのひとつでした。

『風雲児 織田信長』 は、真面目に凄い歴史上の人物の役なので、わたし好みかどうか少しだけ心配でした。日本史(世界史も)が非常に苦手というのもありますし。 でも錦之助さんの演じる信長さんの魅力は愛らしく愛おしく、戦の時のぐおーーー!という凄味は大きなスクリーンを埋め尽くしてました。 馬でぱっぱかぱっぱか走るとか、海に入っていって泣き叫ぶとか、広々とした光景にさえ納まりきれないダイナミックな彼の人間的魅力に興奮します。

香川京子は信長の奥方役なのでしっかりしてキリっとした表情をなさってるのですが、信長が立派に着替えて、今までのやんちゃっ子みたいな魅力を終えた大人の男気あふれるお姿に心から変わったのを知ったとき、メロメロ~となってうっとりしたお顔で寄りかかるのを見て、素敵よのぉと納得納得、でした。

織田信長って怖そうな、暴れてばかりの、近寄りがたい人物像をイメージしていたので、錦之介さん演じる信長がワイルドなだけでなく色気と食い気と頭の良さを魅力的に表現していて、いかにも男性的な男性が苦手なわたしも、強い男ってイイのかも、ととろけそうになりました。 策略も人柄も親父のように信頼できた爺(月形龍之介)への思いは、「じい、じい」という孤独な叫びと共に切なく、涙しそうになりました。 台詞のひとことひとことがグッとくる、さすがです。 最初の方の信長が、荒くれ者なのにチャーミングでたまらないのは、錦之助さんの喋り方が面白いからですよ!ユニークな男・信長って感じ♪

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年1月 2日 (金)

乙女な一面、ぼくイケメン

新年からこんなタイトル。今年もよろしくお願いいたします。

さて新春一発目は、元旦も営業する銀座のテアトルで 「ブロークン・イングリッシュ」'07 ゾエ・カサヴェテス を観て来ました。 もちろん大好きなメルヴィル・プポーを観て一年を始めたいから。 (…あとしょっぱなからロマンポルノ鑑賞にしたくなかったというのもある)

なかなか出てこなかったし、全体的にも出番は想像以上に少なかったです。 主人公ノラの人物造形はつまりイマドキの女性像で、でもだからって展開は決して自然なわけではないもの。まさかのストーリーのおかげでラブシーンを見ても嫉妬しませんでした。客観的に「やっぱカッコイイわ」と見つめちゃうって感じかな。パーカー・ポージーのさらっとした雰囲気やお顔立ちが自分としても全然OKなのでそれも助かった…。

日々ヨガやパックで磨いてて、男運が悪いと嘆いてて、モードだのトレンドだのを把握してる日本食高級店のシーンとかには、観ていて痛いところがありました。でもこういうところは20代の頃に当てはまってたと思う。今ではその頃ほど頭の中を占めないから。男運なんて悪いんじゃなく“無い”んだし。 そ、それがナント、すべて相手の男性の方から「理想の女性だ」「一緒に行こう」「NYへ帰るな」とお膳立てしてくれるんですよ!しかもプポーが!!そんなぁぁぁぁ~~~(泣)

観た直後は恋したいと思ってたのがばかばかしくなってしまった…。スネちゃって。 でもね、彼女は必死じゃなくなってたから、プポーに対し逃げるようにしてたから、追いかけられたように思うんですよ。だから恋がしたいしたいと鼻息荒げてるときよりも男性側にがんばってもらえたのかなと。でも駆け引きってやだ。 ……何だか感想というより己との対話丸出しになってしまいましたが、相変わらず、言うまでもなく、当然のようにプポーは美しいですし、好きな女性に情緒不安定な感じをぶつけられる彼がかわいそうに思えたのは、完全に成長した証だと前向きに捉えています。(ココ笑うとこ)

968_2うれしかったのは、クレジットが流れるときのエンディングテーマで、マリアンヌ・フェイスフルのパンク時代の、「BROKEN ENGLISH」が男性カヴァーで歌われていたことでした。アルバム名且つ1曲目。小鳥のようだった彼女の声は、このときやさぐれてて、それもまたイイよ~。

| | コメント (10) | トラックバック (3)

2008年12月31日 (水)

今年最後の感想は

シネマヴェーラで。ちょっと三本まとめちゃいます。

「新宿乱れ街 いくまで待って」'77 曾根中生  は、惚れちまう男女の性愛と惰性的日々の垂れ流しが何とも自分の感覚やペースと相性良く、とにかくカッコイイし、楽しかったです。 この雰囲気を上手に掴んでて。 このどっちらけ感、やっつけ感、だらだら感が、性愛を表す行為たちと分かり合えるというかピッタリ嵌るという感じで、こういうセンス、好みなんですよねぇぇ。

「悶絶!!どんでん返し」'77 神代辰巳  は家で観ていますがスクリーンでは初。やっぱ面白かったです。でもこの日強行スケジュールだったので気を抜いて観ていたら案の定ウトウト。でも気持ちいい時間、眠りから覚めたらコレかかってて、こんな一日ってウレシイ!と思いました。

「不良少女 野良猫の性春」'73 曾根中生  は、家出で上京してきた片桐夕子が、あれよあれよという間に、本人も無防備でとぼけた性格のまま、「週刊誌に書いてあった女の転落」を経験してくさまを見守るような70分でした。 そこかしこでダジャレが気になって、そこはつらかったです。 まさに題名そのまんまの作品だな、と思いました。

良いお年を。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月21日 (金)

長身の男女がなんか怪しげ

最近英語圏の作品によく出演しているメルヴィル・プポーを楽しみに、早速行って来ました。で帰りにタイ料理屋でランチ。場所柄少々お高かったけど。

「ブロークン」'08 ショーン・エリス

それを言っちゃあおしまいですが、わたしはホラーとか血がドバーとか大きな音でおどろかすとか、苦手なんですよ…。 コレがそういうのとは思わなかったので(サスペンスて書いてあったから)、間が多くてペースが遅いのに突然こういうサプライズ的効果が起こるので、何度もドキッとしてしまい、目を瞑るところもありました。でもわたしはサスペンスだろうと思いながら観てたので、それが重要な効果なのか不思議でした。 観ていて、どんなふうに話が進むのか謎めいていて理解できなかったです。 でも、主人公の女性レナ・へディさんが、すっごくカッコ良くて冷たいほど造りがいい美人さんなので、服装もサイボーグみたいだし、人形で代わられても全然OKな体型とオシャレ感で、クールな雰囲気漂うミステリアス且つフォトジェニックな彼女に魅せられました。 せっかく鏡が何処でも割れたりもう一人の自分と出会ったりという意味深長な出来事が起こるのに、その象徴するイメージがわたしの中で膨らまないので、近未来的でもあり近過去的でもある映像を美男美女で味わうという方向で鑑賞しました。(このために事前に観ておいた「フローズン・タイム」はシャレてるってだけじゃなく楽しめましたよ)

プポーについては「こういう役もあるな~」と納得。端正な顔立ちに目つきの不気味さは、この手の役柄は合うよなぁと。いつか月夜の晩に吸血鬼に変化っていう役をストレートにやるのはいかがかな?ま、この21世紀にそういう映画を大真面目に作るひとがいるかどうか…。でも彼は合うよ! それにしてもホントいろんな監督のいろんな役柄に挑戦していて、どれもプポーの幅を広げてる気がして嬉しいですよ~~~♪ 

| | コメント (12) | トラックバック (1)

2008年9月19日 (金)

キミも大人になりきれてないでしょ?

まだまだ日仏学院にて  「愛されすぎて  Amoureuse 」'92  、「ポネット  Ponette 」'96 、 「イカレた一夜」'01 、(全て) ジャック・ドワイヨン  を鑑賞。

『イカレた一夜』だけ日本語字幕つきです。男女の割り切れない恋模様シネマは観るのが好きです。演者の複雑な気持ちが客観的に見れるから。ココで映画の感想として散々偉そうに書いてるくせに自分のことはわからないのですが。。 二人の女性のキャラクターが自分にはムカつくタイプで、こういう女ヤダなーと思って観てました。スィートルームでの三人のシーンでは、ギヨーム・ソレル(「誰でもかまわない」の刑事の彼)もルー・ドワイヨンもキャロリーヌ・デュセも、其々が誰かをコケにしてたりグルになってたりして、駆け引きとかあまのじゃくならまだいいけど、なんか値踏みして模擬試験してるみたいで、嫌いなタイプの三角関係ができてました。 オモシロ会話は日本語字幕なので楽しませてもらいました。

『愛されすぎて』の三人模様は、中心の女のコの人物造形が理屈じゃない感ぷんぷんの、シャルロット・ゲンズブールありきの印象があって、台詞がわからないから何とも言えないけど「突然炎のごとく」のジャンヌ・モローが原型ならおそらく、どっちの男性にも好意を持つことを自然体でできるのが前提なので、特に観ていて驚かないというか、シャルロット映画というか、内容や詳細をもっと知りたいって思わせる感じではなかったです。でも彼女の口元や胸や後ろ髪などはつい目が行っちゃうよねということで、アンバランスなシャルロットちょーかわいー、です。

思いのほか良かったのが『ポネット』。 カワイイ4歳の女の子が主人公で感動モノかと思ってたので、さほど惹かれませんでしたが、観たらやっぱ言うコトもやるコトもみんな可愛くて目が離せなくて、子どもたちだから英語字幕も他よりわかりやすかったし、何より子ども同士の言葉や身体による触れ合い、戯れ、コミュニケーションが素晴らしくて。 こんな小さな子の常識にとらわれない“想うチカラ”が、ラストの現実を越えた“対話”を創造したんだと思うと、それを単にファンタジーとして描かないわりに素直な監督の演出が、すごくイイじゃないかーと。 ドワイヨン、どうしてこんなに子どもや少年~青年の描き方が素敵なんだろう!! こういう監督の中でいちばん有名な作品だから、どうしても万人ウケ寄りとしてかえって敬遠されるかもしれないけど、わたしは好きでした。

まだつづくでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月17日 (水)

珍しくノッてます。お調子良く。

そして 「イザベルの誘惑 La Tentation d'Isabelle 」'85 と、 「ピストルと少年 Le Petit criminel 」'90 と、  「若きウェルテル Le Jeune Werther 」'92 (全て) ジャック・ドワイヨン  をまとめて…。また日仏にて(英語字幕)。

『ピストルと少年』は冒頭のドキュメントっぽいデジタル映像で始まり、切り替えてから、フィクションとして映画が始まります。少年(「誰でもかまわない」の彼)がいつもむくれた顔をしているので、ちょっと笑うとドキっとします。素敵~とかのドキっじゃなくて、隠されたもの、見てはいけないものを見たときのドキっ。刑事と少年と姉の三人でじっと話してるシーンは多分すごく緊張感あるんだろうに、台詞がわからずウトっとしちゃって。「15才の少女」もそう。ひとつのとこで多少のカメラの切り替えはあるものの、ただ三人が沈黙や議論ぽいもので心の中を闘わせてるシーンは、英語字幕もわからない自分がいたらないのだ。でも動きや微笑や叫びがあるところはわからなくてもちゃんと伝わるので、おもしろいのは嬉しいよネ。

『若きウェルテル』こそ思春期の若者たちの台詞の楽しさが知りたかった…。この回は日本語字幕とチラシにはあったけど、実際は英語字幕だった。英語わかんないから悔しい。若者の会話のキャッチボールって、こう言ったら普通こう言うだろう、というものじゃなくて遊びがあるから、こう返すものだからこう言ってるんだろうと予測するのは無理。この仲間たちはどんなタイプでどんなセンスで会話を楽しんでるのか、非常に興味津々だよー。で、おもしろかったよ。

『イザベルの誘惑』の二組のカップルも、恋の駆け引きや罵倒、目に見える闘いがわかるだけに、台詞がわからなくてもおもしろいんだけど、だからこそ言葉の意味がちゃんと理解したいし、多分その言葉の分量は重要さで言ったらそんなでもないのかもしれないけど、あとちょっとの詳細がわかりたい、って気持ちになる。それにしてもラストでああなるのがブルーノの望みだとしたら過程が大切なんだろうな。キケンな賭けだけど。でもその妻が車にみんなで乗り合わせたときのうなづくだけってのはわかるよ。そこまで見通したうえでの賭けか??

まだドワイヨン、つづく。

| | コメント (2) | トラックバック (0)