た行の映画

2009年8月 5日 (水)

溌剌とした将来の薔薇

「妻よ薔薇のやうに」'35 成瀬巳喜男  を神保町で。

まず人物の感情面としては、眉間にシワよせてインスピレーションなるものを作品に昇華する歌人である母(伊藤智子)が、性格的に遊び心やゆとりがなく、無駄を嫌うわりに体面を気にする見栄っ張りで、ちょっと共に暮らすには窮屈なタイプの女性。 なので男性はそんな妻より、温もりを感じる妾(英百合子)とその子ども二人を“家族”として、終生暮らすつもりでいる。 だから仕方なく一時的に妻の家に戻ることがあっても、娘が気を利かせて一緒に外に出かけてみても、堅苦しくてちっとも楽しめない。(ここでタクシーをとめるシーンがモガらしくハイカラ。スカートはまくらないけど。)
わたしもこの手の女性に魅力を感じないので父の気持ちはお察しします・・けど、ストーリー展開としては、利発な娘(千葉早智子)がこれはいかんと整理をつけるため妾宅に伺うと、これぞ幸福な家庭と思わせる様子を目にすることになり、愛人だけど妻より妻らしい(または母らしい)ことができている彼女を、正妻の家のことまで考えて気を回し、大変なのに隠して尽くしてる女性であったと知り驚き、「お母さんの負けね・・」という言葉が当然でもあり憐れみでもある台詞になってました。

そして物語の構成としては、娘は結婚を考えてる恋人(大川平八郎)がいて、ちょっと強気なしっかり者の魅力を振りまくんだけど、そんな彼女を中心に描かれた作品として、母と父の複雑な環境を整理したいところから、愛人と一緒に居る方がよいと決断する自分の心の整理まで持っていき、他のひとたちにとっては可笑しいと笑えるような問題も、将来結婚を考える彼女にとってはちっとも笑えず「見ようによっては悲劇だわ」と茫然として呟くように、いわゆる良き妻像というものをどこに据えるかを考えさせられた彼女自身の成長が感じられました。
だからって、モダンで綺麗でちょっと澄ましてる「東京のお嬢さま」の千葉早智子が、暗くなったり落ち込んだりするようなシーンは見せず、「お父さんの大切な人」としてぞんざいな扱いをされずに妾宅でもてなされる凛とした頭の良い女性として、最後まで自分に不利な結論でも導き出せる描かれ方をしていたので、ピシっとした筋のある作品に感じました。

義太夫を習いはじめた伯父(藤原釜足)が姪(千葉)に披露する愉快なシーンなどは、彼女にもユーモアがあるってことを見てとれます。恋人とのやりとりより好みだったな~。

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2009年6月 7日 (日)

映画というクスリでイケメンパラダイス~☆

「東京ギャング対香港ギャング」'64 石井輝男  、新文芸坐にて。  カラーって言って赤と白の二色だったので、よっぽど褪色しちゃってるのかな。台詞も映像も相当とんじゃってたし。こういうの詳しくないけど、二色になっちゃうの??

前半は高倉健と内田良平が主に動いて二人ともすんごくカッコイイ~です。 ガイドと名乗って近づく内田良平が、雑多な道々を誘導し、怪しい店で上質のクスリの実物を確認させ、「信用が第一」と言います。高倉健としては他の取引先をやめてでもこちらを選んだ目は正しかったんですが、命は狙われて…。

命を狙った悪徳取引先(クスリ売買の時点で悪徳だけど~)の、チャーリーという名の大木実がたどたどしい日本語をしゃべらなきゃいけないのにわりかし普通のイントネーションになってしまってて、ボスにタメ口きいてるのがちょっと可笑しかったです。

後半は高倉健からバトンタッチされたようなかたちで鶴田浩二が主みたいになったのですが、健さんの家族に骨を返しに行くという義理堅さを見せ、戦争中はマカオで御国の為にナントカという上の立場になってたらしく、帰国後は戦犯として精彩を欠いた生き方をしてるというボヤキまでして、陰のある二枚目なのかと思いきや。クスリ売買しても自分たちはやらないというハズなのに、クスリが切れておかしくなり、子分の待田京介に「あんたそれでも幹部か」と部屋に閉じ込められ、クスリが無いので幻覚まで見えてきてのた打ち回るというシーンが、セクシーすぎるダンサーのシーンになってたりして、こんな幻覚見るのか~と、鶴田浩二が“普通の男”に見えてきちゃって。さらにそれがバレてのお仕置きも、戦友だった丹波哲郎のおかげで逃げられたのに、その後の死に顔が哀れで…。

ポルトガル領時のマカオで「ローマ風の」建築物から、かなりの引きの画面で、今で言う春日みたいなスピードで、颯爽と現れ悠々と歩いてきて登場する丹波哲郎がステキすぎておもしろいです。 丹波氏がボスで内田良平が右腕という組織、かっこよすぎて(好みなので)入りたいわ~と冗談まじりに思って観てたら、丹波氏の素性は…、という丹波哲郎主演のような作品でした。

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2009年5月26日 (火)

勤務時間もお給金も考えてたらできない仕事

「藤十郎の恋」'38 山本嘉次郎 を神保町で。 長谷川一夫がかの有名な顔を切られた事件の後の第1作目ということで、クレジットが出るとき小さな文字で「林長二郎改め」と書いてあったよ。

滝沢修演じる近松門左衛門が、芸の道は戦場で兵士が戦う以上の精神力が必要だ、と言う台詞もあったくらい、長谷川一夫演じる坂田藤十郎は煮詰まって追い詰められ、芸に自信がありつつも新しいライバルのチャレンジ精神に怯え、何も出来ずに悶々とした日々を過ごすんだけど…。 肩を落として力ない藤十郎の、芸に対する苦悩が50分ほど続いた後やっと、二人が、つまり藤十郎とお梶(入江たか子)が顔を合わせるシーンが出てきて。 再編集版ということで元はもっと長かったろうに、コレではあと40分ほどでチャチャッと恋について語られて終わりかなぁ、と不思議がってたら…。あぁぁ~。

そんなに思い詰めた女性に今、思い出したように打ち明けるというのは、役の工夫のためと口悪い人たちに噂されても仕方が無いかもしれない。けど、死を意識せざるを得ないほどの孤独な苦悩の只中で、やっと彼女に10年来の恋心を吐き出す切迫した心境になったと言えなくもなく、何故そのようにわたし(観客)が思いあぐねるかというと、彼の気持ちを不意に知らされたその後の彼女の決着のつけ方にまず、芸の肥やしにされたわけではないと願いたいのもあって、何より藤十郎が彼女よりも一座の渾身の芝居、新しい狂言の幕開けを選んだときの表情が、そしてその幕開けの音を鳴らす信頼すべき吉左衛門(藤原釜足)の表情が、好いた女の哀れな旅立ちをも見送ってやれない芸の道のつらさを表現しているんだろな、と感じたんだけど…。

何に感激したかって、長谷川一夫が役者としての死をも覚悟した実際の事件を乗り越えての東宝移籍復活作品で、「死刑の宣告を待ってるかのような」苦悩に喘ぐ日々の後にある新しくて迫真の、賑やかで大入りの、坂田藤十郎の新境地がうれしく、その大事なところのキー・ウーマンな、立ち上がる為の糧になれたお梶にとっては恋する女の究極のかたちでもあるなぁ、なんて思ったりした。あと芸仲間として吉左衛門だけが真剣に相談に乗り、支えてくれてたのはうれしく、そんな藤原釜足がかっこよく見えたし。(『旅役者』での芸道の頼もしい精神性につながる、か!?)

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2009年5月16日 (土)

どう転んでも庶民でしかないらしい

「東京の合唱」'31 「出来ごころ」'33 (共に)小津安二郎 (共に、活弁&音楽付き) を新文芸坐で鑑賞。 

『出来ごころ』 は、何年も前におうちで観たのですが、スクリーンでは初。こうして観てきても、やはり自分が観てる小津の終戦前の15本の中でも、わたしにはいちばん素晴らしい映画だわ、と思いました。戦後ので忘れてるのも観直したいです。

日常のどこにでもありそうな庶民の心の動きや小さな出来事を追うシンプルな映画。 でもこんなに良すぎるお話の運び、こんなに良すぎる登場人物の心情の機微、とにかくこんなに好きすぎる映画はなかなかお目にかかれないよ、と興奮してしまいます。大好きー。

コレで一目惚れした大日方傳はやはりカッコ良かった~。わたしはビジネスマンより労働者な格好が好きなので、この映画での佇まいの垢抜け加減は最高です。洗練された都会派ではないけど粋な東京っ子って感じ。 繊細なロマンスパートも絶妙にこなしてます。

でも何より、喜八さんがイイから、この男のあれこれが観たいから、この馬鹿タレ(←作中でも「馬鹿」と字幕にあるし、愛情込めてます!)が魅力的なもんだから、その周辺で起きるちょっとした喜びや喧嘩や軽口やお互い様な人間模様に惹きつけられるんですよ。彼だから周りにこんな小さなドラマ、というか運命のちょっとした動きがおもしろいんですよ。 あんなとこで海へ飛び込んじゃう彼が好きなんです。坂本武の喜八モノ、あと1本観てないよ~。

『東京の合唱 <コーラス>』 は、期待していたほどではなかったけど、子役時代の高峰秀子がすんごいかわいかったのでいいや。本当に子ども。 中身としては、年老いた昔の恩師斎藤達雄と、クビにされてから職が見つかっていない岡田時彦とのカロリー軒のあたりのエピソードは好みかな。 それにしてもこの時「失業都市東京」で保険会社の内勤だったなんて、『出来ごころ』とはそもそもスタートが違うよなぁ。無職の証とされていたらしいサンドイッチマンを泣く泣くやるしかなかった男を奥さんが責めちゃったときは、さすがにかわいそうだと思ったな~。

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2009年3月23日 (月)

時代―昔の人の恋や成長記―劇

東京地域ではもう最後。 「源氏九郎颯爽記 白狐二刀流」'58 加藤泰  「独眼流政宗」'59 河野寿一 を新文芸坐にて。 京都でも4月に祭りパート2やるんだって。もちろんすべて東映京都作品だから、京都で観るとよりいいかも。

『源氏九郎颯爽記 白孤二刀流』 は、大川恵子の複雑な立場がより一層美人を際立たせていて、源氏九郎(錦之助さん)への本音がわからない感じがグッとくるのです。こんな女心って、複雑な立場にいなくてもあるし、わかるって人多いんじゃないかな。 なんか思うに、源氏九郎が非常にクールで女の誘惑にも負けない近寄りがたさがあるから、いくら過去に甘い思い出があっても、“お互いの幸せ”というものを大儀に、ようやっと出た女の本音をも拒むことができる冷静さが罪で、悔しいんですよ。 それが本当に二人にとって幸せだとしても、そんな見通しの利く頭のよさはここではいらないんだよぉ~と。 そんな彼の生き方、孤独な性質は醸し出す雰囲気に陰を落としていて、無表情に説得力を持っているので、それがまたお話をキューンとさせるんですねぇ。

わたしは財宝がどうというストーリーや、白装束の美剣士役にはさほどうひゃーとならないので、この作品(シリーズ2作目だって)は、女のせつない思いや男たちの改心、戦い、孤独などを描いた人間ドラマ的時代劇(?)として感じ入るものがありました。里見浩太郎がけっこういいポジションで、映画に沿った真面目さや素直さがよかったです。 あ、細部には笑いがちょこまか挟まれてるので、のんきに肩の力を抜けられます。しかも滑稽なところの後に九郎のクールな表情が繋がったりして。

『独眼竜政宗』 は、やはり歴史上の超有名偉人物語が苦手なわたしにもスペクタクルとして感動し、楽しみました。 まだ若い伊達政宗のわんぱく加減は、荒くれ者というほどではなく、武将としての頭の良さもありつつお父さん(月形龍之介)の言う事を素直には聞かないというもので、でもそれは計算ずくのことで、駆け引きの上手さとして表現されていて、特に性格が素直じゃないというわけではなく、何なら村人のじいさん(大河内伝次郎)と出会ったときの言動はわんぱくだけど純粋なイイ子という感じで、こういう微妙なさじ加減は錦之助さん独特の可愛らしさ、魅力のおかげじゃないかなと思いました。

右目をやられたとき、そしてやられたあとの政宗さんは、いろんな感情が沸き起こってきて、それらは観る者を惹きつけ、同じような気持ちでいろんな感情に揺れ動かされてしまいます。完全に持ってかれてるじゃないか。 もう、黄金期に当然のように作られた娯楽スペクタクル時代劇のレベルの高さって…。

偶然出会う村人の大河内じいさん、そして孫の佐久間良子との触れ合いによって、政宗さん(身分を隠して政のすけと名乗ってる♪)は少しずつ変化していきます。 このときの恩や恋、悲しい別れがあり、そして父・月形龍之介を撃たねばならなかった伊達氏の誇りを胸に刻む事件を乗り越え、その堂々たるラストの大名行列での感動シーンに目頭を熱くしてしまうのです。 男は立派な武将としての顔を向け、目を合わせる。そして女はたまらずに追う。そして終。 うーー(と涙を拭う観客)。

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2009年3月12日 (木)

お前さん、色のほうはどうなんだい?

今、錦之助映画祭りが開かれています。初日のは観たかったのですが、しんどくて行けず。でも今日は観てきましたよ~。 「殿さま弥次喜多 捕物道中」'59 沢島忠 と 「清水港の名物男 遠州森の石松」'58 マキノ雅弘 。

錦之助さんは昨年『江戸っ子繁盛記』で惚れそうになってから、『弥太郎笠』『おしどり駕籠』『関の弥太ッペ』と観ていくうちにやられちまった一人なんですが、間とかリズムとか喋り方がすごく面白く、人柄も親しみやすく気取らない魅力で、好みの男性だなぁと密かに思ってまして。出会ったら最後、恋をしないではいられない色気みたいなものを感じちゃって。これを「惚れちまった」というのかな。妙にロマンスがニクイというか、リアルに見ちゃうというか。 あ~ばかだね~。

で、今日の2本。共に娯楽作で、美女との恋をおちゃらけ節なイキの良さで演じ、イイ男っぷりを拝ませていただきました。

『殿さま弥次喜多 捕物道中』 は、錦之助さんが雪代敬子と気風のいい偶然の縁で惹かれあい、中村賀津雄が中原ひとみと素直じゃないけど好きあってた、というカップリングでわたしのハートをこちょこちょします。悪役親分は月形龍之介、小説家志望のおきゃん(?)な姫君は桜町弘子。とにかくおちゃらけ映画です。 大名の金品を盗んで貧しい者を助けるという鼠小僧みたいな役を、それぞれが騙し騙し演じて、道中で笑いの小ネタをはさみながら、最後はみんなが味方について、好いた美女に応援されながら頑張っちゃうんだぞ、というコミカルに素敵な彼を見守る作品でした。ボロボロの船で戦った後の二人、「のんきに風まかせで行こう」なんて。素敵、似合う!

『清水港の名物男 遠州森の石松』 は、女に縁のない童貞の石松が、片目でも心に惚れてくれる女を見つけに讃岐まで行くんだよ、というお話で、死んだら自分のために丸髷結って泣いてくれる女がいる男たちを羨ましがりながら、やっと惚れた可愛い女ができてラブレターをもらってから「もう惚れてくれてる女がいりゃあ絶対死ねねぇもんね」というイッチョ前の男みたいになれるのが、なんかすごくカワイくて。 錦之助さんがモテないなんぞありえないのに、そんな役も調子のいい喋り方や動きとマッチして魅力的でした。 あぁ、綺麗なお目目が片方ふさがってるのは役とはいえもったいない。片目がキラキラ輝いてました。他の女郎たちも美人だったけど、スレてない可憐な丘さとみが良かったんだろうね。「これぞ一目惚れ」だってさ、ったく。

『次郎長三国志』はまだ未見なのですが、50年代のシリーズの森の石松は森繁さんが演じてるんですよね。BS2の録画ができないのはつらいのぉ。地デジになる頃は結婚とかで新しいTVやDVDレコーダー買ってるかしら。(やっぱばかだね~)

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2009年3月 4日 (水)

あ~もう辛抱たまらん

「お国と五平」'52 成瀬巳喜男 と 「旅役者」'40 成瀬巳喜男 を神保町にて鑑賞。

『お国と五平』は、細やかな情感と、つくかつかないかスレスレのドキドキを、美しく魅せてもらいました。 身分が違う(女が上)というのは絵になるんですよねぇ。しかも木暮実千代の色っぽさ、薄い蚊帳を隔てた関係にドキドキします。大谷友右衛門がもう我慢できない!ってトコもあぁ~ってなります。でもこういうシーンも嫉妬の怒りも静かに表されるんですよね。 あと、山村聰のへタレ且つ一途な想いが何とも哀れで切ないです。辛い旅でも慰めがあるんだからいいじゃないか、なんて真実ですよ。

そんなに「この女性だ」となってしまうと旅が終わらなくても目的が遂げられなくても結婚できなくても触れることさえできなくても、傍にいられれば姿が見られれば幸せだとか思えるものなのかなぁ。ってその前に二人に同じように惚れられる女はすげーな~。

『旅役者』は、あまりにおもしろすぎて笑いが止まらず、“終”の文字がひゅわっと出てからというものしばらく席を立てないまま涙を流し、笑いを抑えるのに大変な労力を要しました。 感動で泣いてお手洗いに急ぎ、一人涙を流すというのは素敵なことだと思いますが、いくらお手洗いに行ったとて、一人クスクス笑うというのはちょっと奇妙だと思ったので、結局その場で座ったまま笑っていました。

いくら成瀬のコメディセンスが素晴らしいとわかっていても、上映中にたまらなく笑うことがよくあっても、こんなに後引く大笑いなんてレディのわたしには無いことですよ。いや、家でお笑いを見てここぞとばかりに大笑いするのはしょっちゅうですが、映画館では初めての経験なんです。ホント笑いを抑えながら帰宅するのに疲れ果てました。この作品にはもう感心する他ありません。参りました。もうダメです。

芸道モノなのでもちろん役者の芝居魂に愛着を感じたり娯楽を味わう庶民に共感したりするのですが、着ぐるみと本物の動物との認識のズレを日々痛感しているわたしには特別持ってかれた感がありました。

笑いを止めるのに必死だなんて贅沢だなぁ。あ~幸せだった♪

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2009年2月25日 (水)

平成のカオスは心理遺伝なのか?!

一休みも済んだので再始動。 「十六歳の戦争」'73 松本俊夫 と 「ドグラ・マグラ」'88 松本俊夫 イメージフォーラムにて鑑賞しました。 我ながら地味にコツコツタイプだなぁ。ほんと地味。

『十六歳の戦争』は、この頃の嵯峨三智子の具合はいかがなのかなと映画とは無関係の心配をしちゃいましたが、ある地域の大空襲昭和20年8月7日で、始まり終わったそれぞれの人間を絡めつつ、監督の死生観を基に作られた感じがあって、当時人気のシンガーを主演&歌に使った“映像詩”とは言えそこは作家主義的作品なんだな、と思いました。

高校の先生(戸浦六宏)が能の講釈をするシーンがあるのですが、この話が脳内に届いたらしいのは主演の秋吉久美子だけ。 彼女も占いやエスパー(死語!)を信じてるのですが、受け取る気持ちがないと何であれ発信されても気づかないままなのです。 ある決定的らしき場所で、人を介して、本当の事をしゃべりだし、その決定的な日の儀式ではっきりさせられる、というのがイタコみたいというか、こうして「死者ではあるけど死にきれない者」と「死に近いギリギリのところで生きてる者」が交錯する物語になってました。 でもそれは幽霊でもなくイタコ職でもない、十六歳の少女の自然なる憑依で語られます。

無意識でのアイデンティティの揺らぎから、何かに導かれて辿り着き、そこで出会うべき人たちに出会い、それからの生に覚醒して、そして死に向かって歩いてくのサ、みたいな前向きな旅の印象でした。
   ―ちょっと一言― 
似たような趣きのある喜重さんの「鏡の女たち」の方が画面から受け取れるインスピレーション的幽玄さが強く、企画への観念の細やかな表現は優ってると思います♪

『ドグラ・マグラ』は、主演の少年が好みじゃなかったのですがそれはともかくとして、作品はキテレツで、奇奇怪怪だったり、あの人はこうだけどこの人は??という疑問だったり、飽きさせずに観るもんイッパイって感じでした。

でもどうしても人間の狂気や脳髄によるトリックや奇妙な光景にはわたしが鈍いというのもあって、不気味さや在らぬ恐怖やヤバさを感じないまま観ました。 わたしはそれはいいです。狂気は感じなくてもいいです。むしろ明るさを感じるほどのキテレツな物事を観てるだけで愉快でした。 ある意味親切に物事が映像になってるので、いちいちココで深読み文を書く必要がない気がします。 ちなみに原作、自分は未読で思い入れはなく観ましたのであしからず。。

松本俊夫回顧展と銘打って劇映画は全4本上映されましたが、実験映画の数々は観ませんでした。。ちょうど他2本の記事があるのでよかったらこちら(「薔薇の葬列」「修羅」)もどうぞ…。

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2009年1月22日 (木)

飲み込まれない女優っぷり

新宿で 「妻二人」'67 増村保造 を鑑賞。 角川シネマ、スクリーンがあまりに小さくてビックリ。ホームシアターみたいな劇場がちょこちょこあるとは聞いていたけれど……といまだテレビデオ使用中の自分が吠えてみる。

「二人」とは言え若尾文子が主なんじゃないかと思っていたら、実質的にイイとこ持ってって魅力を感じるのは茉莉ちゃんでした。少女のようなコケットリーがあって、無邪気でフワフワした女だけど、想っても報われない哀切を悟らせない大人の心遣いができて、誰かを責めるよりもこの世の常としてあきらめ前を向ける強さと視野の広さがあって、それを立ち居振る舞いや表情、言葉の声色などで豊かに表現していました。 物語の中での追い上げが良かったです。 くっきりガッツリした増村作品に出る茉莉ちゃんてどんなだろう、合わないかなと危惧しましたが、ちゃんと自分があって演出に飲まれずストーリーを誘引していたのでさすがだなぁと、危惧なんかしたわたしが無礼だったなぁと思いました。

ぼろアパートの茉莉ちゃんが「今のあたしには分相応よ」と言うように、女たちには住まいで格差を表してましたが、キャストを調べずに観に行ったら、江波杏子と長谷川待子が現代的で奔放で派手な女の役で出てて、かなり嬉しかったです。このテの女性像が好きだから、このテが似合う女優が好き。 ここでの文子はんはわたし好みじゃない何事もきっちりして堅苦しいご立派なキャラ設定で、茉莉ちゃん同様尽くしても尽くしても報われない哀しい女ではあるけども、女性特有の性や業には遠い哀れさを感じました。 とは言えタイプが違う女性でも、愛する男に求めるものは結局のところ同じだったり。

最後に警察から出て空を見上げた茉莉ちゃんは、心の中で愛されてる自信が溢れていました。

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2009年1月 9日 (金)

顛末は意外と未来へ向かう

「壇の浦夜枕合戦記」'77 神代辰巳 「ズームイン 暴行団地」'80 黒沢直輔 をシネマヴェーラで。

『壇の浦~』は、風間杜夫と渡辺とく子との絡みはちょっと楽しく観ました。 風間杜夫のキャラは上手で合ってますね。 帝の妃であるやんごとなきお方に近寄るのさえ困難なはずが、身分は低いが優しい杜夫によって、彼女の「生きるってこういうことなのねぇぇ~」という最後の叫びまで導かれていきます。 他の女性たちは卑しい男どもにあれこれされる地獄絵図を描いてるというのに。彼女は今後の人生に活路を見出しちゃって。

『ズームイン 暴行団地』は、結構凝ってるところがあるなと思いました。影とか構図とか色彩の配置とか。 何より連続惨殺事件だからドキドキ怖い感じもあって、たまに目を瞑るところがありながらもパラノイア的犯罪者と主人公の団地妻との展開に興味湧いて観れました。 特に狂ってるっぽい少女が出てきてからおもしろく観ました。 でもラストの「また次の…?」的なイメージはわたしが狂気の暗示に鈍いからか難しかったです。 既に主人公の女性が後半に見せる不気味な笑みや果敢に犯人に向かう姿勢で感じられるようになっていたので、それで十分伝わってきましたよ。

そうそう、以前言ってたロマンポルノを観るために登録した動画サイト、さすがにデザインが女性的でないというか、トップページを表示するのにも気が引けて、まだ1本しか観てないです。。

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2008年11月13日 (木)

この世の天国はまだかいな

やっと映画館に行って来ました。しかも久しぶりに観たものが新作。どういう風の吹き回しかって?まぁまぁ、 「天国はまだ遠く」'08 長澤雅彦 です。

コレ観る前に『夜のピクニック』'06 をレンタルで観ておきました。 高校生のお話で、けっこうよくて、2時間飽きずに観れました。 原作が有名なんだって。原作でどうなってたのかわかりませんが、女優志望らしき女のコの妄想が再現され、主人公の本心に繋がってくシーンはアニメを使ってて、でも他は舞台という設定で、きちんとアニメ化された人物から舞台上の本物の靴にピントをずらしてみたり、けっこう楽しく試みて作ってるんだろうなと思いました。冒頭でこの高校名物「歩行祭」が始まる校庭の中を追う広い広い長回しは相米監督チックだったり、主の二人(男女)が川べりを歩きながら語り合う横移動は溝口をやってみたのかなと。映画好きでやってみたいことを素直に取り入れる気持ちって嫌いじゃないです。 あと新作の日本映画は、キャストが自分の知らないひとたちの方が観やすいことに気づきました。匿名性があるというか。気づく前からある程度知ってるキャストばかりの作品は本能的に避けてきましたが。もちろんわたしが観てて入り込めるか(見入るかどうか)についてなので、有名人だから作品が悪そうという意味じゃないです。

で、『天国はまだ遠く』ですが、チュートリアルの徳井と加藤ローサちゃんが主の、コレも原作が有名そうな作品。もちろん吉本印で観たくなったのですが、脇に芸人(大先輩)がけっこう出てましたよ。 にしても、お笑い芸人が演じる“さりげない”演技って観ていて照れるものがありまして、甘い台詞とかわざとふざけたこと言ってかわしながら見せる優しさとかが、ちょっと生々しいというか、いかにも演じてくれてる感じが、つまり、早い話が、「キャーーlovely」となるんですよ。 しつこいですが幼稚園で初めて加藤茶を“カッコイイ異性”として意識しだしてからお笑い芸人にキャ~~となる性質を自認するわたしだからこう思うのか、それはわかりません。でも上映後若い女の子二人組みが「台詞がいちいちおもろかった♪」と話してたニュアンスに、わかるなぁ~と。だってだって、そんなトコでおもしろいコトとか言っちゃうなんて、もぉ、だから好きなのっ!となるのがわ・た・し・た・ち♪(一緒にしてゴメンよ…)

映画の感想は、前半はよかったけど後半はわざとらしいエピソードと演出が気になってしまい……。 でも前半、自殺未遂後のローサちゃんの、目覚めて足を鳴らしたりご飯を美味しく食べる音などの自然音が、彼女だけ強調されていたり、台詞じゃなく映像でコトの流れを見せようとするところは、効果的に伝わってきたと思いましたし、都会の若者が田舎体験をして再生するというスジを突き放して描こうとしてる気がしました。 が、後半はもうそのスジがもろに前面に出ちゃってて、わざとらしくて恥ずかしさがありました。賛美歌を歌うあたりから…。 ラストのほうで徳井が橋の上のローサにつぶやくように諭していたシーンは、ベタかもしれないけどあんなふうに言ってもらえたらな…と思いました。 あと、田舎はこんなにイイモンじゃないというご意見があったとしたら、観ない方がいいでしょう。あくまで都会しか知らない女性が自殺したくて田舎に辿り着き、見事にフツーに目覚めてからというもの、かえって生命力がみなぎって輝いてしまうというストーリーなので。 わたしにとって、かすかにナチュラルな笑いを滲ませ優しく包まれながら、「長生きしそうな」自分に気づかせてくれる徳井的男子に憧れる作品でした。すっげーうらやましい!!

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2008年10月25日 (土)

とうとうお縄に…「お手間かけました」

フィルムセンターにて  「忠次旅日記」(活弁&ピアノ付き) '27 伊藤大輔 。 コチラは弁士・ピアノつきの回を観ました。 ちなみに日曜にやる「新版大岡政談」は都合的に無理そうなので諦めざるを得ないのが残念…。

三部作として作られたうち、残ってたところが見つかり復元されたフィルムでも第二部の一部と第三部の大部分しか上映できないのですが、それでも今世紀わたしが楽しく鑑賞することができたのは、後から説明を入れた字幕だけでなく弁士の方が補足してくれたのも大きいと思いますし、日本映画史がどうというのは置いといて、古い日本映画好きとしてはほんとすっごく面白かったなぁ~と率直に楽しめる作品で、素晴らしい94分となりました。ピアノ伴奏の音量も程良く、軽やかでした。あと第二部の撮影担当は先日の「長恨」の渡会六蔵、第三部撮影担当は「御誂次郎吉格子」の唐澤弘光でした。

伊藤大輔のほとんど現存していない無声作品たち、“すごかった”という噂でしか知りませんでしたし、それをこんなに近くでスクリーン鑑賞できるなんて、しあわせ者だなぁと。

ここでも伏見直江はん、姐御として、国定忠次の愛妾として出演されていて、最後の盛り上がりに一役かってました。「馬鹿ヤロウ!」という啖呵も、ピストルで撃つところもあり、これは惚れないわけにはいかないのです。そして愛する男が捕まって殺されるというのにあの義理堅い態度。カッコイイよ…。

あと、中風で刀も持てずグッタリして寝てるときにとうとう捕らえられるというシーン。御用たちがおそるおそる近づくのか、すごく興味深く観ました。「殺陣師段平」や「人生とんぼ返り」で観たあの舞台上でのラストシーンを、この映画でどうなってるのかって。御用たちは低い姿勢ではありませんでしたが、なかなか近づけないところを、捕らえる中山ナントカという偉い人が中心に立ち、情けをかけつつお縄にかけるという演出でした。でもその前に捕らえられそうになったときがあり、そこでは御用たちが低い姿勢で這って近づくシーンがありましたよ。

観ることが叶った伊藤監督の無声作品 「忠次~」と「次郎吉~」で表された落ち目の哀しさは、監督や俳優業などの“水モノ”にとっては考えずにいられない問題で、大河内演じる忠次や鼠小僧という歴史上のスターの生涯に対象化させているんじゃないかな、と思いました。

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2008年10月22日 (水)

わたしは御用にはならんぞ

「獣人」'38 ジャン・ルノワール をシネマヴェーラで、 「長恨」'26 「御誂次郎吉格子」'31 伊藤大輔 をフィルムセンターで鑑賞。

『御誂次郎吉格子』(無声)、おもしろかった~。弁士・ピアノ無しの日程で観たんだけど、熱いカメラワークにテンポも良く、目新しい題材じゃないのにお話も楽しい。キャラ的にも“玄人の女”特有の情感と“誰も手をつけていない”少女の薄幸ぶり、悪人たちの転がる如く軽やかな動き、味方さんも御用さんもどちらさんもノリがよくて、もちろん主人公鼠小僧の日本男児らしき長所・短所が軸になり盛り上げる、ユーモラス&人情風味たっぷりの時代劇でした。江戸から上方へというのも自分好みかな。伏見直江って大河内さんとつきあってたのは本で読んだけど、かーなーりー粋な姐さんで素敵。江戸っ子で、新人の山田五十鈴を優しくかくまってくれた珍しい大物女優だそうですが、わたし好みのタイプですね。山岸しづ江を見たときも「なんてイイ女なんだっ!」と思ったけど、直江はんも髪の乱れ方や着物の襟の緩み、仕草や表情で酸いも甘いも表現できるタイプでした。大河内の気がそれる純情な乙女を演じるのは実妹の伏見信子です。それにしても次郎吉の最期に呼ぶ名前には「そっち~!?」と思いました。

その前に『長恨』(無声)て作品の12分の部分上映があって、ちょうど現存してるのが物語のラスト部分らしく、大河内傳次郎独断場のチャンバラでは、御用たちに追い詰められても踏んばる派手なチャンバラを映すカメラが、ロングショットとアップと主人公目線でグルングルン回すやつとが、目まぐるしく楽しめるように出来ていると思いました。彼が逃してやる男女のカップル(彼の弟と、兄弟で惚れてしまうんだけど盲目の弟に心が向いてしまった女)の道中のシーンでは、二人でただ土手や原っぱを歩いたり、立ち止まって兄を思って叫んだりして二人なだれ込むところを派手なチャンバラに挟むうちに、すごく気持ちが伝わってくるような、熱いものが込み上げてくる感じがしました。なので、これらを感じられた後に、流暢な「御誂次郎吉格子」の、最後までフィルムが残されている唯一の無声作品を鑑賞できて、「楽しめた~、よかったな~」と素直に嬉しく思いました。

『獣人』は、機関車の音と汚れと煙がすごくて、労働者たちの妻や母まで鉄道関連の仕事や住まいというのが、人柄が温かいだけに辛く酷な暮らしぶり。 そういえばラストのほうで男が友に正直に打ち明けたとき、それを聞いて友が台詞の後に「わかるよ」と付け加えたのが嬉しかった…。わかるわけないんだけど、普段真面目でソフトな男の言うことだから信じてあげたいのかなって。こんなちょっとした台詞がちらほらあったけど忘れちゃった…。 ジャン・ギャバンとシモーヌ・シモンのロマンスには思いの他ノワール的な香りは弱く、遺伝子(血縁)という似たような悩みを持つ二人が必然的に仲良くなったという自然な恋のムードに感じました。 シモーヌ・シモンの出演作ずっと観たかったのでそこは嬉しい。ザ・フレンチロリータ顔。 あと、持病をかかえて禁酒してる男より、正義感あふれる男の突然の狂気にビビりました。自己コントロールが第一の男より、堂々と生きてる男が安易に殺人を実行したことにビックリ。 併映(「めんどりの肉」)はスケジュールの都合で観なかったです…。 労力を大切に。

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2008年9月24日 (水)

山を知り谷を越えた才能ある芸人たち

成瀬の上映はしょっちゅうやってくれるからまだいいけど、それでも今回新文芸坐での特集で未見作の「石中先生~」と「コタン~」が日程的に無理で。でもちゃんと「歌行燈」はこなせたのでよかったです。ちょっと疲れてて。でも充実した疲れだからしあわせだ!  …ということで、 「歌行燈」 '43 と、「鶴八鶴次郎」 '38 (共に) 成瀬巳喜男 を鑑賞。

『歌行燈』は、新生新派による能の舞いや三味線なので、新とはいえわたしにはやはり馴染みにくいというか気構えるというか。で、山田五十鈴が可愛くてケナゲで綺麗なお嬢さん、苦労するしおらしさが主人公花柳章太郎の胸を打ち、天に届き、観る者もとらえる、という美しい話なのですが、ノレない人物像には胸を打つことが困難だなぁ。映画が悪いという判断ではないです。わたしは元々個人的主観で観ちゃうから。

『鶴八鶴次郎』は、まさにその個人的主観が邪魔をしていた(と今回気づいた)1月のアテネで観たときより、すっごく感激しました。スクリーンの大きさとか、二度目でちゃんと観れたというのもあるけど、自分の気分や状況に関係なく客観的に観れたからだ、と思いました。

わたし本当にこういうのが好き。大好き。芸道モノで山田五十鈴という好みもあるけど、映画として全体がすごくイイ!再度観れてよかった。いつも労力や時間やお金を考えて劇場鑑賞は一度というのがほとんどだけど、コレは何度でも観たい作品のひとつだな~。

わたしは庶民的な寄席の芸が性に合う。二人や周囲との掛け合いやテンポが漫才みたいなんだよー。しかも長谷川一夫がうらぶれ酒に溺れ地方で流れてるときの其々の寄席の旗や、鶴次郎の名が載ったポスター、それを破いて作られた小川を泳ぐ舟、これらの省略のシーンにはさすがと言うしかないし。このときの鶴次郎の表情以上に哀れが観客に刺さるもんね。  ありがとう、イ~イ映画です。(←太田胃散のCMのマネ)

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2008年9月16日 (火)

元気になるに決まっとるわ

記事のUPが遅くなりましたが、この2作を観ることで調子づくことができました。ありがとう!ナントカ観に行けてよかった。。

「誰でもかまわない」'07 と 「15才の少女  La Fille de 15 ans 」'89 (共に) ジャック・ドワイヨン 。わたしにはMUSTでした、「15才の少女」は。

まず『誰でもかまわない』は新作で、「仏の秘宝」で観て来ました。開会式はチケットに書いてある6:15の前にあると勘違いしていたので、思いもよらず監督の素敵なお姿を拝見できました。あ~ドワイヨンカッコイイな~。シャカシャカした上っ張り着てフランクに立っちゃってさ。で、本編も満足いたしました。一風変わった女のコが何故かヘンテコな男に強い関心を持ち、愛することをやってみるんだけど、最後に提示される解決策で愛の試行を一段落させるまでの様々な数々のシーンは、単純におもしろいし、興味深かったです。主人公の女のコが男のコに向ける好奇心には敵いませんが、その対象として出てくる人出てくる人次々と気になり、見届け、堪能しました。あの一味違う女のコには妙に好奇心をくすぐられます。2時間いろんなもの映してくれてるのに結局何事もなかったような顔をした印象の映画、楽しいナ。

そして、日仏の特集上映にて鑑賞した、『15才の少女』 (英語字幕&シノプシス紹介配布) は、それまで母の仕事の関係でちょこちょこっと映画に出ていたプポーが、主人公の彼氏という大きな役を演じてセザール賞新人賞にノミネートされたっつー作品。ロメールの「夏物語」の女のコ中心版て感じかな。夏のバカンスで少女とボーイフレンドとその父親の自然且つ不自然な三角関係。プポー自身には夏らしい明るさや爽やかさなど無いんだけど、なんていうか、おとなしめで、繊細で、ちょっとした際のほほえみとか少年らしい仕草とか何もかも線が細い美少年で、太陽がライトとなり彼を浮かび上がらせてやっと動きが映える存在感が、すごくさりげなくて素晴らしすぎ。もう15才の頃から作品を良くする為の効果的に映える魅力を表してたのです。少女(ジュディット・ゴドレーシュ)の揺れ動きは、彼氏(メルヴィル・プポー)に足りない包容力を彼の父(ジャック・ドワイヨン)に見出しちゃって(二人骨格似てると思った)、プポーが成長した男版としてドワイヨンに魅かれた気がするんだ。でもドワイヨンは年上すぎて現実的にパートナーとしては今後が見えてこない。優しさと中年の色気に軽蔑のまなざしもあったんじゃないかな。でもやっぱり、心も身体も少し幼く感じるプポーとの共生を採ったのは、奔放なようで賢い15才くらいのおませな少女として完璧じゃないかと思ったよ。自分の年齢半分以下のプポーを最前列の真ん中でスクリーン鑑賞するためにお洒落して出向いたわたしには到底無理な芸当か―。

まだドワイヨンはつづきます。

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2008年8月10日 (日)

酒、酒を飲むのだ

シネマヴェーラで特集やってるので観て来ました。

「たそがれ酒場」'55  「血槍富士」'55  (共に) 内田吐夢

1本目は「たそがれ酒場」。いちばん早く店に来る「先生」と呼ばれるお客のじいさん(小杉勇)はジャン・ギャバンではありません。いろんなワケのある人々が交差するんですが、キャラもそれにまつわる小技(例えば人の酒まで飲んでしまう多々良純対策として酒瓶に線を引いておく。で営業後古い付き合いの男を説得する大事な話のために酒を注ぐ、とか)もそれぞれきちんとしていて、人が繋がってる感じが出ていて、いちばん端っこの“いつもの席”で酒場を大きく見守っているその画家-「先生」-じいさんが全部まとめちゃるよ、という爽やか(?)な映画でした。一応元囚人や痴情の沙汰、三角関係にヤクザが絡むなどのいろいろな事が起こるんですけどね。津島恵子のストリップダンスは魅力的で目がよろこびました。

「血槍富士」は、だんだん眠くなってしまいました。“そうそうたる巨匠”が協力・応援した“必見の名作”と言われても…。この作品、わたしは観ていて興味を持ち続けることが困難でした。小ネタエピソードは散りばめてあったけどツボにハマらなくて。

こんな感想でかたじけない。トムさんもっと観ようと思ったけど…他の優先します。

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2008年2月 7日 (木)

何を期待してるのやら

「嗚呼!!花の応援団 男涙の親衛隊」'77曾根中生と、「タリラリラン高校生」'71田中重雄をシネマヴェーラにて。

『花の応援団…』は、いくつも挿話がありすぎて観てるほうが熱中できず、街並みは好きなのですがなんとも言えない感じでした。もちろん「何故ピンク街で戦車のような(?)車輪の車が登場するのか」とか「トイレでする性行為での女の格好がありえない」とかに不満なのではなく。美人のお嬢様とのお見合いでどうのとか、新任教師(河原崎長一郎)やテストの件がどうとか、70を越えた父が剣道で雪辱をとか、シリーズの他のは知りませんが散漫な印象でして…。そこが面白味なのかなぁ。 

とか言ってますが、結局“微妙な何か”を期待してわざわざ渋谷まで行くんですけどネ。

『タリラリ…』は、正反対のキャラクターの高校生2人が心の歪みという共通点を通じて信頼し合い友情を深めるお話で、でもちゃんと担任が女子校とのコンパの企画にOKを出すゆるり感があります。峰岸隆之介の喧嘩が早業でカッコイイのと、本職に就職が決まった番長が意外と話の分かるイイヤツだったのと、うまいこと話が進む都合のよさが、楽しめましたよ~。「あいつのパンチ、なかなかだったゼ」

悪そうな男の人って映画の中ではおもしろいです。通学の車内でのド派手な喧嘩って、見栄えというのも変ですが見どころとしてイイですね。ねーちゃんをからかうとか、不良の方々にとっては大事なポイントなのでしょうか。

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2008年2月 2日 (土)

コツコツやってたのだ

引き続きアテネにて。まとめて。

「まごころ」'39 成瀬巳喜男

子どもが移動でとことこ走るシーンがやけにいちいち映されるな~と、チャラっと場面変えちゃえよとか思って少々退屈しながら観ていたのですが、ラスト、怪我で足を引きずりながら長い道のりを進むのを観て、退屈な疲れは完全に取れ満足感でいっぱいに。納得できればラストスパートはすごい追い上げようです。

嫌なタイプのお母さん(あの村瀬幸子さんです)は旦那の元恋仲入江たか子やら学校の先生やらいろんなところで嫌がられる言動をいたしますが、旦那にも出征するほうが都合がいいとまで言われる始末でした。でも修羅場になるような場面をこんなにコミカルに見せるのは楽しいですね~。いちばん惨いこと言われるシーンがいちばんみんなを爆笑させていました。なんかすごくないですか?こういうの。真面目な教育的匂いがしてる映画なのに。 をはり。

「鶴八鶴次郎」'38 成瀬巳喜男

鶴八(山田五十鈴)はすごく良くできた女で少々ムキになりやすいところ以外はこんなに芸があって気の合う相棒はいないです。なのに、鶴次郎(長谷川一夫)のバカバカ~~。最後の喧嘩は計算された茶番ですが、その後の反応や経過がすごく気になって…まだまだ先が観たかったです。

芸人好きのわたしには芸道ものは楽しいです。 わたしも鶴賀亭のような劇場作りたいです。2人がちゃんと自分やお互いの将来を考えていたのは偉いなぁと。芸の~ためなら~女房も泣かす~とかいう歌もありますが、本当に愛があるなら芸のために愛を殺すんじゃなく、相手のために自分が泣くのさ~。

観終わって外に出ると空が暗くなっていたので帰りたくなり、夜の映画をやめてきました。わたしは子どもなのか、それともおばあちゃんなのか。 終。

「三十三間堂通し矢物語」'45 成瀬巳喜男

何とか観に行けましたが途中でうとうとしてしまいました。長谷川一夫が言うように、田中絹代のスジは間違っていませんが、彼女が大事にしすぎた市川扇升の言うことにもちゃんとスジがあります。男同士、いろいろあるけど頑張って良かったね!という感じです。こんな感想ですまぬ。 完。

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2007年12月11日 (火)

我慢しない人々

引き続き例のアレについて、相も変わらず超個人的な感想をば…。

高一の頃、友達と「ファスター・プッシーキャット キル!キル!」'66 を観に行ったのですが、映画館ではなく乃木坂にあった“deep”というクラブで、スクリーンとイス少々で上映されて、周りの大人たちはドリンク片手に壁際でおしゃべりしていました。字幕がないので会話はわからないのですがなんとなーく楽しんだ覚えがあります。で、そんな思い出を大切にしたいということでコレは見送りました。

とにかくラス・メイヤーって何だかスゴかったな~という印象で、今回のグラインドハウス特集で観ようと。何がすごかったのか覚えてないのだけど、こういう感じが好きだったんですよ。

で、結局「ヴィクセン」は見逃してしましたが「スーパー・ヴィクセン」'75 「ウルトラ・ヴィクセン」'79 「チェリー、ハリー&ラクウェル」'69 は観たのでひとことづつ書きます。

エロエロナースは好みなので、「チェリー、…」がおもしろかったです。しかもお肌がピチピチした女同士の絡みがあって、目にも良かったし。

「ウルトラ…」のラジオDJが、いろんな意味で癒すということでエロかったのが好みでした。(茶化してふざけてますが、信仰もエロも内なる深い部分から癒すってか~♪)

「スーパー…」は、好みのエロさが思い出せません。

勢いで楽しんだ頃の感性は失ってしまったようですが、そのかわり“保健室の先生”というエロなテーマがわたしにはありますので、日々何となくがんばりたいと思っております。

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2007年11月20日 (火)

夜更かししてちょこっと。

家で増村「遊び」'71 を観て、関根恵子の処女喪失のときシーツに残された血痕で思わず泣いてしまった…。(思い出すものがあるんですよ、そりゃあもう)

最初のほうは「またまた~」と思いますが、今日はちょうど強くてしぶといラストには疲れる気分だったので、汚されないまま終わってホッとしたのでした。そもそも大門正明の予習がしたかったんだけど。デビュー作だって。

あと、新文芸坐の“小林桂樹映画祭”で、成瀬「妻の心」'56小津「小早川家の秋」'61 を鑑賞しました。

当然ながら「妻の心」よかったです。やはり高峰秀子は良い意味で頑固、ケナゲでシッカリ者、根っから真面目な女性でした。中北千枝子の裏表がはっきりしてるキャラクターも、小林桂樹のいかにもそれらしい亭主像も、しっかりしてました。声の太さが浮いていた三船敏郎の必死のチラ見攻勢(視線の交差に力入ってる気がするんです)で、女性がよろめくかどうかについてはご覧になってお確かめください。

「コハヤガワ家」は「お早よう」から二年しか経ってないんですね。前後の秋刀魚も秋日和もすっかり忘れちゃってるんですが、生意気を言うとこの時期の成瀬と晩年の小津の二本立てはちょっと酷じゃないか?と思ってしまいました。                       

――追記: あれからベッドに入って寝るまで、何故か「遊び」のいくつかのシーンや台詞を思い出し、今さら号泣。朝起きたら目が腫れてるほどに。時間差でこんなに泣くとは。生々しいので詳しくは書けないけど、悲しい涙じゃないので大丈夫なんだけど、とにかくあのときのお相手Hくんに是非観て欲しい映画ですわ。(連絡先知らないけど) 11/20 10:43

――再追記: 今日は休みだったんだけど、かえって何度も思い出し涙が止まらず…。なんだこりゃあ~ 17:32

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2007年11月17日 (土)

金曜はイイのよ♪

・・そうそう、言ってなかったけど、これらのATG特集は今も六本木で上映中です。

いきなり思い出話で恐縮だけど、中学から高校にかけてサイケバンドと称する遊びをしていた頃、好きだったバンドのうちのふたつがニューエスト・モデルメスカリン・ドライブだった。

彼らは後に統合し、“ソウルフラワーユニオン”という名前でやっていくことになるのだけど、デビュー前から社会派と言われていた彼らの歌詞は子どものわたしでも左よりだとわかるもので、訴えたい、問題を投げかけたい、そんな気持ちが感じられた。

で、飽きっぽい年頃だったわたしは統合したあたりからもう聴かなくなってしまったのだけど、その後随分経って若松孝二にプロモーションビデオを撮影してもらっていたのをたった今フィルモグラフィーを調べて知った。

さぞうれしかっただろうなと思う。何故ならオブラートに包まずはっきりと革命だとわかるこの「天使の恍惚」'72若松孝二 を今回観て、まさにメスカリンの伊丹英子がライブや写真などでしてる格好がコレの横山リエとそっくりだから。いくらサイケ好きでも、このご時世(そういえばバブルだったな)本当にイデオロギーとやらを掲げて活動してるバンドは少ないと思うから。そしてわたしも彼女の格好はそのままそっくり憧れの目で見ていたかっこよさだった。

チューリップハットを前だけピンやバッチで止めて髪はゆるぼさな感じで下ろす。パンツは縦縞の派手目なパンタロン。トレンチも細身で襟も大きくカワイイ。そして統合前から同盟を組んでいたニューエストの中川さんとの性を伴う(であろう)関係は、この映画の月曜と金曜みたい。

月曜とか金曜とか十月というのは人の名前。十月組を秋が仕切っている。それらが集まって四季となり、組織ができている。どこも人が集結すれば組織という形になってしまう。

わたしはといえばリアルタイムじゃないし普段から過激なタイプでもないから、独りで最前線まで向かっていって闘うなどはとてもできない。大きな壁を破壊して自分の未来も無にする熱が心にも頭にも無い。

敵を大きいとか、自分という存在をちっぽけだとか思っていたら、何をしても無駄に思えてしまうのかも。確かにひとりの力は軽くねじ伏せられるかもしれないけど、このような考え方でいったら生きることさえ無意味に。でもあえて余計な情報、命令、誘惑、お仲間意識を拒むために目(損傷で)、耳(故意に聞かない)を失うことに意味を持たせるのは、土曜のように成長するには必要だということか?

今のところ若松孝二はコレが初見。登場人物やこの時期の監督、プロダクションなどにわたしのような者が安易に言えないのは知っている。自分の問題として考えてみたかったんだ。まあわたしなんか横山リエ(彼女が金曜)がクラブ歌手やってるシーンでの妙にくすぐられる音のハズシ方や表情、立ち姿そのものに憧れるのが関の山でして。

やはり危ないのは怖いので、過激な行為で進歩させようとすることに共感するわけではなく。帰りの電車で「不審物を見かけたときは…」とアナウンスが通常どおり流れるのを確認し、安全第一で過ごす日常に舞い戻るのであった…。おしまい。

そうそう、平安時代より江戸時代より第二次世界大戦よりわたしには難解だったこの時代のこの題材の作品群の中では、ストレートな方だと思いました。

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2007年9月27日 (木)

快楽×懲罰

なんか字の色が薄いなと思ってたら、カラーバリエで黒にすればしっかりした黒字になるんですね。知らなかった。しかも「ネタバレ」とかちゃんと表記してないし。ま、基本バレてるかも気にせず書いてます。

「厨房で逢いましょう」'06 ミヒャエル・ホーフマン は、原題にもなっているエデンという女性の、ファムファタルぶりとは関係のない部分が好きになれませんでした。シェフの職場(厨房)へ勝手に入り込み味見をすることに必死。もっと安ければお客はよろこぶのに、と暴言。彼の味にとりつかれて、夫の母(お姑さん)や他のレストランで失礼な態度をとってるし。それほど絶頂モノらしいのです。

でも彼シェフは「彼女が自分のところへ来るのは利点しかない」と、夫の嫉妬に対し怪しまれる関係ではないと否定します。そしていろんな騒動の末、最後は彼女の思い通りのシェフになる運命に辿り着くのです。

愛、結婚、嫉妬、妊娠、食、そして意外と大きな嫉妬の要因になってると思った職。本当は利点しか感じられない関係の男性なんか、快楽を与えてくれるだけの男性なんか、ただそれだけにしかならないと思ったのに。唯一気持ちが分かるなぁと思えた夫がだんだんと酷い立場になっていく…。シェフも罰は与えられるのですが…。

そんなにも快楽の味って知ってしまった者の身を滅ぼし、さらにそれへのエネルギーによって救われるのでしょうか…。

――追記:シェフはすべて失ったように見えますがこの彼の運命に対して仕方ない、これでよかったと認めることしかわたしにはできません。エデンの周辺で起こる快楽と罰というテーマを美食中心で見せるやり方には感心させられました。 9/28

                                                      

「M」'06 廣木隆一 の主人公の女性も人妻で子どもがいますが、自分だけの奥にある欲望は満たし足りていないようです。 どんどん堕ちていくというよりも、個々の時間や行為の連続がただ“M”なだけだと思います。だからその度に罰を受ける。

シーンが時間をたどっていなかったですし、嘘のような告白もあり、リアルっぽいのに現実的じゃないちょっとした錯覚を起こしそうでした。脱いでカラダ張ったエロ画像がたくさん映ったのですが、そのときふとなんでこんなの観てるんだろうと思いました。別にこの女性のこういうシーンが観たかったわけじゃないし、好きな監督、俳優が出てるってわけでもないし、原作や写真(ポスター)が興味を引いたというわけでもありません。気になるな~と思いつつやめておこうかという感じでした。

少々重い気分になって出てきました。虚構なのに。誰とも関係ないのに。己の感情がわからない。ただはっきりわかるのは「プレイということで納得させたい」というものです。

――追記:では何故観る前この映画が気になったのか考えてみました。客観的にこのような虚構、ファンタジーが見たかったのでしょう。でも自分と映画との距離が近づいたり離れたり、グラつく気分を味わうことになりました。あと、リアルか嘘かという台詞や時間軸などの錯覚は狙ったものだと感じます。 9/28

                                                      

今度はもっと明るく軽いタッチの映画が観たいな~。来週の水曜、あの2つ観ようっと。内緒だけど、ウフ♪(あほ)

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2007年8月21日 (火)

映画館だよー

映画館で新作観ましたよー。

「トランシルヴァニア」'06 トニー・ガトリフ は音楽がすごく好きで、気持ちも盛り上がりました。燃え上がったというのかな。

でも感情移入というのではなく、ちょうど偶然出会った男女を見守ったような感じです。

クラブのようなとこで踊ってるときの格好がセクシーでしたし、いつのまにか2人で喧嘩ごっこをしてるとこなんか仲良さそうで楽しい。

見守った末、男の不安、予測と反する現実が表されていて安心しました。

「長江哀歌」'06 ジャ・ジャンクー は、観てるときずっと見入ってました。何と言うか、「ご覧のとおり」です。

少年の愛の歌は本当にその意味をわかってるようでもあるし、少女のつづりの違うミッキーのTシャツ(しかも英語としてもつづりがおかしい)はわかってないのを承知の上という気がするし。

ねえおじさん、そこに居てそこで何か行われてるのを、わたしは観てればいいのね?

ねえおねえさん、嘘だと思ってたけど違ってた、ごめんなさい。あまりに辛さを隠してるから見抜けなかったよ。別れの嘘はわかったよ。でもそれはわからないほうがよかったかな。

国の状勢のことは安易にわたしが書けませんが、ひとびとの哀歌はちゃんと聞こえてきて、感じられたのではないかと思っています。

ちなみにチョウ・ユンファになりきってた男のコの着メロ、あの歌だったとは思えないな。その後のシーンへの歌のつなぎで着メロとして聴かせただけで、狙った嘘だったと勝手に思ってるんだ。勝手にね。

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2007年8月 2日 (木)

子供の心と大人の心

本当は清水宏の特集上映、明日終わるのですが、今日書いてしまいます。

とりあえず何とか観に行けたのが3日、つまり6本でした。その中でよかった4本について少し…。

わたしは男のコを見てるのが楽しくて好きです。無駄に動くし労力を惜しまない、そして声変わり前のかわいい声でふざけてみたり、生意気言ったりします。小学校の前を通ると少しはしゃいでるコたちを見たいなと思うのですが、怪しい人物とされてしまいそうなのでできません。見るのが好きなだけで実際関わるのは大変そうですが…。

「蜂の巣の子供たち」'48 は戦後の身寄りのない子どもたちが働くことを覚え、大人の恋を微妙に感じ、いっぱしの男の感覚を誇示し、ユーモア溢れるあたたかい作品でした。

でも初鑑賞がコレで、あまりにまともな良い話なので拍子抜けしたというか。だってチラシに人柄のことを良く書いてなかったから。こんなにストレートに優しくて愛を感じる映画をつくるひとが、“傲岸、尊大”とか批難されるのが信じられなくて。もちろん会ったことない、まして生まれる前に亡くなっているひとのこと何も言えないけど、なんだか良い作品を作る自信や作れるプライドが、そういう像も作ってしまったのでは…?などと何の根拠もなく考えてみたりして。

「東京の英雄」'35 も特に良いなと思いました。東京・銀座なだけあってハイカラな姉と弟ですが、やはりここでも母への思いや子どもの成長を描いていました。「モダン」といえばそれまでですが、テンポもよく、ちゃんと階段や移動のところが早くなってるのは無声映画のオモシロイところというか、キモチイイ部分です。

それにしてもあのお母さんは凄腕ですね。なかなかそこまで大きくできないことですし、事業の実力を自慢してもいいくらいです。そんな母から見たら、葛藤があるにせよ家出をして戻らない実の娘(桑野通子)や息子がハイカラ&アコギなやつでもかわいいものなのですよね。小さい頃からの息子の洋服に対する細かいこだわりや、娘は洋装のほうが似合うなどということを、愛おしそうにお手伝いさんに話していたではありませんか!

「暁の合唱」'41 はまったく期待していませんでした。が、意外にすごくおもしろかったです。大体木暮実千代のキャラがきちんと確立されています。それが最後までブレません。楽しい台詞がたくさんありました。彼女なら全部言いそうな台詞です。女性にプロポーズした上司に「あなたって真面目な顔しておもしろいこと言うひとだと思ってたけど、真面目な顔して真面目なことも言うのね」とか、生意気なことを真顔で、悪意なく言えるみたいで。自信があって、自己主張もできる女性で、なかなかの“傑作”(劇中で実際に木暮が言われてた表現)です。現代的でおもしろいので、彼女のおかげで清水宏の中では長いのですが飽きませんでした。

「簪」'41 では特に、脇役の男性陣が本当にユーモラスに動き、しゃべってたのが印象的でした。簪の持ち主(田中絹代)は主人公ではないように思えてしまいました。ここでも笠智衆は上半身裸で肩まで毛が生えてるのが確認できました。

男性はどこで情緒を感じるか、わからないものですねぇ。そのひとそれぞれの感性によって違うのでしょうが。あまり幻想を抱かれても困りますけどね。(“情緒的イリュージョン”を語り合うのはある意味男性的ですね)

たいした怪我じゃないとか言って、すごい怪我じゃないですか。でもわたしには笠智衆が恋をしてるようには見えませんでした。絹代はんは惚れたかな、とちょっと感じました。ここら辺ははっきりしない感情を抑えた心情なので、どう察するかは問題ではないのかもしれません。抑えてることが事実です。

情緒を感じ、味わうというのは、わたしが生まれる前の日本映画が好きな理由のひとつでもあります。そんな映画を観て、感性を膨らまし溢れさせる行為は、イリュージョンと呼べるものであ……ったらいいな。

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2007年6月27日 (水)

「太陽はひとりぼっち」

先日生涯のベストテン映画というお題がありまして、わたしも挙げることになりました。

挙げてみると、十代の多感な時期に観た映画はその後観ていなくても自分の中で変わらず大きな位置を占めるようで。

生涯といってもまだ年齢的にも甘ちゃんなので今後たくさん好きな映画に出会っていくと思いますが、とりあえず10本を。9本はすぐ出たのですが、最後どれを入れるか迷ってしまい、何故か「バーバレラ」'67ロジェ・ヴァディムを挙げる始末。でもこの映画、60年代、近未来、エロアホ…キーワードとしては高校時代のわたしに多大な影響を与えた、けっこう大事なヤツだろうな。それははっきり自覚、認識してますよ。

十代というと…あと「ベティ・ブルー」「太陽はひとりぼっち」「楽園の瑕」が入ってますが、

これまたやはり思い出深い。

「太陽はひとりぼっち」'62ミケランジェロ・アントニオーニ はたまにBS2でやっていて、今度は7月24日21時から放送されるそうですが、

これは劇場で観てあまりの映像のクールさ(当時はこんくらいしか言えなかった)とアラン・ドロンのカッコよさに目を奪われて字幕を全然観ず内容わからなかった、という体験を初めてした映画。

アントニオーニは、MODなガールだったわたしには当然「欲望」'67を観ていてサントラも聴いていたイカしたヤツだった(プッ)けど、

「太陽は…」は、その後スグ、目だけでなく内容も知るためビデオを購入し何度も観た。やっぱよかったのだー。

女優(モニカ・ヴィッティ♪)が笑わない、けだるいというのも実に好みでして、そんな彼女もはしゃいだり大笑いすることもあって、でもスグ世を捨てたような表情に返るというのもよくわかるんだ。

白黒が強くて無機質な線でスクリーンを切ってあるような感じは、グラフィックデザイナーを一時志したわたしにはピッタリはまったのは当然でしょう。

だってだって、恋したいとか愛し合いたいとか当然のように願うけど、それが確かなものじゃないことくらいわかってるんだもの。

だからって恋愛を完全にあきらめて生きてく意思もありゃしないし、そうはいっても「いつか本当の愛がほしいわぁ」とか思ってるんだから。

何をしたから固く結ばれるというものじゃない。どいつもこいつも満たされないまま生活する。それは男も女も同じ。証券取引所のお金の動きはどこでおこなわれてるの?ここに無いのに上がった下がった言って、大金がパーになるとか、訃報に対する一時的な黙祷も、不確かにしか見えないよ。

意識では確かに好きなんだろうけど、解り合うとかありえねーよと思ってると、どうしても進展しない。そんな男女の何ともいえないこの感じ。あーはっきりしない、このもやもやする感じはこの二人の、この映画の内面の部分。

映像と違うよね。こんなに影が強くて意外に夏だったりする背景が、内在化するのは人の心の不安定な表情なんだから。

無機質な建物に無機質な窓、人や車が通る道さえ味もそっけもないように見える。いわゆる現代人の現代人による現代の病なんでしょう。

でもそんなことよりやっぱこの映画は恋愛映画ですから。しかも二人だけの映画。

もちろん冒頭でモニカに男がいて、別れ話の少々を見せられるのですが、それでもこれは他のアントニオーニ作品の中でも“二人の恋愛を描いた映画”だと思うのです。

再見したいな~(しないで書いてるのか!)

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