2009年7月 1日 (水)

ほんとに「うたのため」ですか…??

「もどり川」'83 神代辰巳 を鑑賞。シネマヴェーラです。

実在した大正歌人の度重なる心中模様、娼婦たち、女たちの情念や退廃ムードが好きなわたしには目がよろこぶ作品でした。 大正デモクラシーな革命の熱や、関東大震災の混沌、歌壇のパーティでの議論や批評、通称もどり川での渡し舟での心中未遂事件などなど…、美術や撮影にお金がかかってるようにも思えましたし、役者陣も艶やかさがあって、豪華な印象を受けました。

化粧や着物の色が濃くて、肺病の妻だろうが音大のお嬢様だろうがとにかく女優はみな熱演だし、ドタバタ動くショーケンは誰に向けても色気を出すし、フトンシーンの応用もさまざまなバージョンがあって、障子の影越しに破って…とか、渡し舟の上で取っ組み合ってあぁ…とか、人力車の中に飛び乗って…とか、娼館や旅館じゃなくても楽しみようがあり、やっぱ映画にするときはこういうシーンがパッとして、いいよなぁと思いました。女たちの愛する男への衝動や情欲が凄くて、その淫靡さに、革命家が放つ手榴弾並みの破壊力を感じました。

実在した人物の伝記のようなお話も、こういう情念シーンを拡大させて見せてくれたおかげで、人ひとりの人生を描くという大仰ゆえの肩透かしがなく、男女の絡み合いをまざまざと観て全体の雰囲気を味わうことで楽しみました。

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2009年6月26日 (金)

ヒーロー!焦らないマン・何となしにマン

今日はこのノンキブログの2才の誕生日なのですが、頭が真っ白で面倒なので、普通の話をします。

最近は、図書館で借りてきた
『スクリプター 女性たちの映画史』 桂千穂(聞き書き) ( 秋山みよ、宮本衣子、中尾壽美子、白鳥あかね 諸氏にうかがうというもの。もう何が何だか忘れちゃった。。知識にならない頭脳の持ち主。)
『小津安二郎の反映画』 吉田喜重著
『わが人生悔いなくおごりなく』 萬屋錦之介著 (自伝のようですが、プライベートではなく映画界の移り変わりや共に仕事をした人たちについて穏やかに語っているのでおもしろかった!)
を読み終わり、

『月形龍之介』 月形哲之介監修 (ガタさん、オッさん、て呼ばれる人望。すごい歴史。)
を読んでる最中です。

映画は観てる本数じゃないよ、と諸先輩方から励ましていただくことも多いですが、
そこはお言葉に甘えて、
何を観たかというより、それを観てどう思ったかとか、好きで観たいから観るとか、
そういった原点は忘れずに、
無理しない感じで何となしに観ていきたいと思っています。

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(←成瀬)

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(←おととい新発売。)

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2009年6月24日 (水)

好き放題でも自由じゃないね

「噛む女」'88 神代辰巳 を鑑賞。シネマヴェーラで。

AV業界のオフィス社長をしている夫(永島敏行)が、学生時代は自主映画も撮っていたらしく、常に映画をよく観ていて、映画を頼りに業界で猛進する様子がうかがえます。 と同時にピリピリした神経質さも出ていて、浮気云々以前に普通の家庭というものを軽く考えてるのもいかにもな感じで、やだな~こういうタイプと思っていたら、次第に強がってるようなフシが見え隠れしてきて、単純に突き放せない雰囲気を感じたので、何となく行動や気持ちの流れを自然に追って観れました。

敵とおぼしき女性同士のたくらみ、自作自演、という部分は想像できなくもなかったけど、家庭不和やサスペンスタッチなストーリー云々より、この夫や周囲の男たち世代(当時32歳くらい)は「いつまでも青春の延長のように生きてる」という批評があったらしく、上向きな時代にちょうど家庭も仕事も遊びもできる年頃がハマっちゃったやり手の男たちの、自主映画やAVを監督する芸術家肌で業界風な、たくさんの酒や女を自由に扱えることが美徳となるような独特な雰囲気が、都会で研磨される男女のプライドの高さや孤独の像として見えてくるようで、作中の誰とも共感できないながらも、受け入れられないものではありませんでした。

なので、わたしが最も苦手とする贅沢な倦怠感やスカしてるという表面的な印象よりも、昔からの映画業界神話に憧れてる万年映画青年の、現実的な家庭に対する違和感を器用に処理できなかった男の話として受け取ったので、感じるものがありました。

ちなみに個人的なチェックとしましては、オフィスの女(戸川純)が、いくつかワンピースを着てましたが、わたしが小学校のとき似たようなチューリップ柄(!)の肩パット付きブラウスを持ってたので、お、と懐かしくなりました。 あと、「好きな人はみな既婚者」と言う玩具デザイナーの“噛む女”(余貴美子)が、不倫やストーカーちっくな行動と暗さがムンムンで、そのターゲットの男(永島)の妻(桃井かおり)と、娘が好きな大量のぬいぐるみ購入を通して知り合い、それが重要な展開のきっかけになる、というのが気に入りました。(神代クマさん作品にくまのぬいぐるみが出てるとどんな使われ方であれ嬉しくなります。)どうりでわんさかぬいぐるみに囲まれた生活してると思った~。

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2009年6月22日 (月)

永遠且つ一瞬を願う為の享楽

ご無沙汰~。 「赫い髪の女」'79 神代辰巳 をシネマヴェーラで。 名作としてそもそも有名な作品ですが、今回やっと観ました。

この映画で主に動いてるカップル、わたしはこういう二人の性愛が好きです。二人の環境や立場は確かにストーリーを盛り上げはしますが、女(宮下順子)のとにかく触れていたい、戯れていたい心のありようが、もうズシっと胸をコチラ側まで刺しに来るんです。 ただただ画面が流れゆく時間を、まるで止まっているかのように、見つめることしかできませんでした。

彼女の謎を知りたいとか、この後二人はどうなるかとか、そういったことはこんなときに考えたくない、考える必要はないと思うのです。 何が続き何が終わるのか、じゃあそれが何になり何になったというのか、そんなこと誰も(関わるすべての人間が)わからないのです。 もしその時が訪れるとしたら凡庸な現実生活の転機を見せられるだけでしょう。

女は男(石橋蓮司)の帰宅を待つアパートで、彼の残り香を便りに耽る“準備”も、唐突に振る安売りスーパーの話も、二人の関係を欲望だの刹那だの夢だので描かれ語られることのない、現実の生臭い時間と空間を共にする共同生活を示していて、この男は、画面に出てこない夫の存在や、悪友(阿藤海)に嫉妬するエネルギーを使って、より密着度の高い性愛を女に与えられることもできて、お互いがより近く、溶け合うぐらいに共に暮らし、こうして今のような毎日が続くことだけを祈るように、何度でも行為をし確認しあうのです。

この男がこの女について、他人に見せる行動、又は行為中の罵りとしての台詞から、逆に惚れてるってーことがありありと見てとれます。 女が「ちゃんと(した姿勢で行為を)して」と何度もお願いして叶えられないシーンでは、何故だか涙がぼろぼろ流れ落ちてきて、男が職場で悪友に「犬みたいなもんだ」と侮辱的な表現をしながら女への熱情をその悪友によって導かれるシーンは、さらに涙でアイメイクが目に沁みました。 でもその理由を自分の中に探すつもりはありません。ただせつなく身体が反応したのです。

他にもカップルは何組か登場しますが、この二人の関係の危うさ、ストーリー展開の作為的な揺れ、どこに向かうこともない停滞した現在地などに、何げなく貢献する絡ませ方でした。

Adv_nikka00022_160 (←これからは画像、なるべく入れるね。)

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2009年6月 7日 (日)

映画というクスリでイケメンパラダイス~☆

「東京ギャング対香港ギャング」'64 石井輝男  、新文芸坐にて。  カラーって言って赤と白の二色だったので、よっぽど褪色しちゃってるのかな。台詞も映像も相当とんじゃってたし。こういうの詳しくないけど、二色になっちゃうの??

前半は高倉健と内田良平が主に動いて二人ともすんごくカッコイイ~です。 ガイドと名乗って近づく内田良平が、雑多な道々を誘導し、怪しい店で上質のクスリの実物を確認させ、「信用が第一」と言います。高倉健としては他の取引先をやめてでもこちらを選んだ目は正しかったんですが、命は狙われて…。

命を狙った悪徳取引先(クスリ売買の時点で悪徳だけど~)の、チャーリーという名の大木実がたどたどしい日本語をしゃべらなきゃいけないのにわりかし普通のイントネーションになってしまってて、ボスにタメ口きいてるのがちょっと可笑しかったです。

後半は高倉健からバトンタッチされたようなかたちで鶴田浩二が主みたいになったのですが、健さんの家族に骨を返しに行くという義理堅さを見せ、戦争中はマカオで御国の為にナントカという上の立場になってたらしく、帰国後は戦犯として精彩を欠いた生き方をしてるというボヤキまでして、陰のある二枚目なのかと思いきや。クスリ売買しても自分たちはやらないというハズなのに、クスリが切れておかしくなり、子分の待田京介に「あんたそれでも幹部か」と部屋に閉じ込められ、クスリが無いので幻覚まで見えてきてのた打ち回るというシーンが、セクシーすぎるダンサーのシーンになってたりして、こんな幻覚見るのか~と、鶴田浩二が“普通の男”に見えてきちゃって。さらにそれがバレてのお仕置きも、戦友だった丹波哲郎のおかげで逃げられたのに、その後の死に顔が哀れで…。

ポルトガル領時のマカオで「ローマ風の」建築物から、かなりの引きの画面で、今で言う春日みたいなスピードで、颯爽と現れ悠々と歩いてきて登場する丹波哲郎がステキすぎておもしろいです。 丹波氏がボスで内田良平が右腕という組織、かっこよすぎて(好みなので)入りたいわ~と冗談まじりに思って観てたら、丹波氏の素性は…、という丹波哲郎主演のような作品でした。

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2009年6月 4日 (木)

スーツはむしろ、はみだし者が着る装いサ

「ならず者」'64 石井輝男 を新文芸坐にて。 香港、マカオ、横浜で、男たちと女たちの“袖触れ合うのも多少の縁”で紡がれた、ちょっちキザでスマートな裏街道ストーリーです。

高倉健がそこかしこで出会う見知らぬ男たちとの「また会おう」がたまらなく好きでした。

江原真二郎は、トランプでのギャンブル(ポーカー?)で1対1で勝負し、戦い方・賭け方を見て健さんの目的などを察し、戦う相手なんだけどディーラーである江原と素人の健さんが同志のような感情を交わして「ラスベガスかなんかで会おう」と。

杉浦直樹は、誤解から追う追われる関係のまま娼館に辿り着き、病気の娼婦(南田洋子)をスゴいステキなやり方で看病する健さんと、不思議な時間を共有しているうちにお互いを思いやる二人になっていて、「ムショで会おう」と別れるんだけど、何度か再会したのち、ラストでの日本へ帰る前のパトカーが走ってるシーンでこの二人は言葉にならない約束を、台詞にならないながらも交わすんですよ。(多分わかったと思う)

あと、そのラストへと繋がる場面で、前半で敵対し殴りあった丹波哲郎が、事情の誤解が解けて仲間意識のような気持ちが働いてからは、高倉健だけ逃がすように仕向けるほどになっていて、そこでの会話のやりとりが最後になると感じながら、逃げ切れることができたという男同士の冷静な判断・決断もあって。

そこで話題に出る三原葉子、丹波氏と仲間だったのですが、「惚れていたのかわからない」というボスらしい台詞がそんな時に吐かれるのもまたシビれます。 健さんが用意した切符を何も知らず歩道でひとり待つ南田洋子の立ち姿にもふわふわした気持ちにさせられたり、他の脇役も大事な役どころを担っていて、広東語とジャズと日本俳優がクールに溶け合う作品でしたよ。 「女からしぼった金でぶくぶく太った」安部徹がこの映画の大ボスですが、こいつだけは話がわかんないヤツだったな~。じゃないと大ボスにならないか~。

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2009年5月26日 (火)

勤務時間もお給金も考えてたらできない仕事

「藤十郎の恋」'38 山本嘉次郎 を神保町で。 長谷川一夫がかの有名な顔を切られた事件の後の第1作目ということで、クレジットが出るとき小さな文字で「林長二郎改め」と書いてあったよ。

滝沢修演じる近松門左衛門が、芸の道は戦場で兵士が戦う以上の精神力が必要だ、と言う台詞もあったくらい、長谷川一夫演じる坂田藤十郎は煮詰まって追い詰められ、芸に自信がありつつも新しいライバルのチャレンジ精神に怯え、何も出来ずに悶々とした日々を過ごすんだけど…。 肩を落として力ない藤十郎の、芸に対する苦悩が50分ほど続いた後やっと、二人が、つまり藤十郎とお梶(入江たか子)が顔を合わせるシーンが出てきて。 再編集版ということで元はもっと長かったろうに、コレではあと40分ほどでチャチャッと恋について語られて終わりかなぁ、と不思議がってたら…。あぁぁ~。

そんなに思い詰めた女性に今、思い出したように打ち明けるというのは、役の工夫のためと口悪い人たちに噂されても仕方が無いかもしれない。けど、死を意識せざるを得ないほどの孤独な苦悩の只中で、やっと彼女に10年来の恋心を吐き出す切迫した心境になったと言えなくもなく、何故そのようにわたし(観客)が思いあぐねるかというと、彼の気持ちを不意に知らされたその後の彼女の決着のつけ方にまず、芸の肥やしにされたわけではないと願いたいのもあって、何より藤十郎が彼女よりも一座の渾身の芝居、新しい狂言の幕開けを選んだときの表情が、そしてその幕開けの音を鳴らす信頼すべき吉左衛門(藤原釜足)の表情が、好いた女の哀れな旅立ちをも見送ってやれない芸の道のつらさを表現しているんだろな、と感じたんだけど…。

何に感激したかって、長谷川一夫が役者としての死をも覚悟した実際の事件を乗り越えての東宝移籍復活作品で、「死刑の宣告を待ってるかのような」苦悩に喘ぐ日々の後にある新しくて迫真の、賑やかで大入りの、坂田藤十郎の新境地がうれしく、その大事なところのキー・ウーマンな、立ち上がる為の糧になれたお梶にとっては恋する女の究極のかたちでもあるなぁ、なんて思ったりした。あと芸仲間として吉左衛門だけが真剣に相談に乗り、支えてくれてたのはうれしく、そんな藤原釜足がかっこよく見えたし。(『旅役者』での芸道の頼もしい精神性につながる、か!?)

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2009年5月24日 (日)

逆らいと熱狂

銀座で 「ポーラX」'99 レオス・カラックス を鑑賞。 実はコレ初見なんですが、急に空き時間ができたのでやっと観ることができました~。

長尺だけど、魅入ってしまいました。なんか不思議な場所で、何が起きているのかわからないままなのに、人様の長々とした「妄想と混乱」なんか知る由もないのに。(ギヨーム・ドパルデューとしての脳内は気になるけど♪)

わたしもこの世界から脱したいと思わなかったことはないし、どこかわからない世界へ連れてってくれそうな誰かに惹かれるのもわからないわけじゃない。だから、そこで全てを棄てる決断なんかできないわたしには興味津々で主人公を見守ることにしました。

主人公は別世界での別人を演じてるつもりはなくても、悪魔的に誘われるように、本来肌に合わない水の中では生きられないように、別世界(そもそも“別”って言ってる)でアイデンティティを再構築し、未知の環境で過ごすというのは難易度高しというか、息さえしづらいんじゃないかな、と思った。 自分を揺るがす方へ進んでいるのは、謎を標的としてるとはいえ意図的。 そのままどんどん突っ込んでって自らを壊すまでは、一区切りつけられなくなってしまうような危険な賭け。

普通のバーのような店から鉄橋を渡ってヘンな建物へ向かうときの風は、相当な向かい風だったよね。 流される濁流の勢いは強く、赤い波に完全に飲まれてたしね。 今居る世界の中でのぼちぼちな道筋より、少しでも良い世界なんかあるのか?これでも今居る世界が最もマシなんじゃないのか?と結果論的に(映画の、じゃなく現実の)思ってしまうんだけど、10年前観てたらどうだろう。破滅を美しい勇気ある行為としてラストの暴挙をカタルシスをもって観るかもしれないなぁ。(そうコチラが受け取るのもイイだろうけど)

若者に人気のカルト小説を偽名を使って書いてたという彼は、そういう素質十分なのかな。象にとって人間は臭いんだという台詞があったけど、彼自身胡散臭くて「偽者」で、“何か”に狂信的に取り憑かれたい欲求が強いように感じたよ。

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